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妙見寺(赤穂市) [寺院]
5月17日(木) 現在、GWに兵庫県赤穂市の親戚の家を訪れた時の記事を連載中です。
今回は、赤穂市坂越(さこし)地区散策の続きで、「妙見寺」です。「大避神社」の前から、展望広場を通って、舗装された林道を「妙見寺」に歩いていきました。
◎妙見寺 (みょうけんじ)
住所:兵庫県赤穂市坂越1307-1
電話:0791-48-0555
山号:宝珠山。宗派:真言宗。本尊:如意輪観音
創建:8世紀中期(伝)。開基:行基(伝)
別称:妙見寺観音堂
宝珠山八十八箇所霊場
http://tabiseto.com/sakoshimyokenji.html
坂越浦を望む景勝地の妙見山に位置する。寺伝によれば8世紀中期、行基を開山として創建された。当初観音堂は妙見山山頂に建てられていたが、1659年に台風で半壊したために中腹の現在地に移築された。
かっては16坊5庵を有していました。
「太平記」に登場する児島高徳ゆかりの寺としても知られています。
↓妙見寺の遠景

↓「観音堂」(円通閣)の全景

↓「観音堂」

↑高床式で、如意輪観世音菩薩・六観音像・阿弥陀如来像・弥勒菩薩像・弘法大師像を安置

↓「薬師堂」

↑薬師如来・不動明王・文殊菩薩を安置
↓「妙見堂」

↑妙見大菩薩・虚空蔵菩薩を安置
↓「地蔵堂」

↓「稲荷堂」

↓「児島高徳の墓」


↑南北朝内乱期に新田義貞と共に足利尊氏と戦った南朝の忠臣児島高徳の墓。

↓「忠魂碑」

↓鳥居

【船岡園】大正3年5月児島高徳の550年忌を記念して解放された桜の美しい公園です。
=========================
◎昨日の阪神タイガース
回 数:123・456・789・・・・・・・計・・・・・・・(安打) 甲子園18:00、 39,068人
日本ハム:101・000・001・・・・・・・3・・・・・・・(10)
阪 神:000・001・000・・・・・・・1・・・・・・・・(5)
【本塁打】糸井2号ソロ(1回、スタンリッジ)
【投手】
●スタンリッジ 6回:6安打、6三振、2四球、2失点(7試合3勝3敗)
・渡辺1回3分の2:1安打、1三振、無四球、無失点
・筒井 3分の1:無安打、無三振、無四球、無失点
・福原 1回:3安打、2三振、1四球、1失点
〇吉川 6回:2安打、6三振、1四球、1失点(7試合4勝2敗)
※交流戦が始まり、初戦を飾れませんでした。今日は甲子園へ行って応援します。
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今回は、赤穂市坂越(さこし)地区散策の続きで、「妙見寺」です。「大避神社」の前から、展望広場を通って、舗装された林道を「妙見寺」に歩いていきました。
◎妙見寺 (みょうけんじ)
住所:兵庫県赤穂市坂越1307-1
電話:0791-48-0555
山号:宝珠山。宗派:真言宗。本尊:如意輪観音
創建:8世紀中期(伝)。開基:行基(伝)
別称:妙見寺観音堂
宝珠山八十八箇所霊場
http://tabiseto.com/sakoshimyokenji.html
坂越浦を望む景勝地の妙見山に位置する。寺伝によれば8世紀中期、行基を開山として創建された。当初観音堂は妙見山山頂に建てられていたが、1659年に台風で半壊したために中腹の現在地に移築された。
かっては16坊5庵を有していました。
「太平記」に登場する児島高徳ゆかりの寺としても知られています。
↓妙見寺の遠景

↓「観音堂」(円通閣)の全景

↓「観音堂」

↑高床式で、如意輪観世音菩薩・六観音像・阿弥陀如来像・弥勒菩薩像・弘法大師像を安置

↓「薬師堂」

↑薬師如来・不動明王・文殊菩薩を安置
↓「妙見堂」

↑妙見大菩薩・虚空蔵菩薩を安置
↓「地蔵堂」

↓「稲荷堂」

↓「児島高徳の墓」


↑南北朝内乱期に新田義貞と共に足利尊氏と戦った南朝の忠臣児島高徳の墓。

↓「忠魂碑」

↓鳥居

【船岡園】大正3年5月児島高徳の550年忌を記念して解放された桜の美しい公園です。
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◎昨日の阪神タイガース
回 数:123・456・789・・・・・・・計・・・・・・・(安打) 甲子園18:00、 39,068人
日本ハム:101・000・001・・・・・・・3・・・・・・・(10)
阪 神:000・001・000・・・・・・・1・・・・・・・・(5)
【本塁打】糸井2号ソロ(1回、スタンリッジ)
【投手】
●スタンリッジ 6回:6安打、6三振、2四球、2失点(7試合3勝3敗)
・渡辺1回3分の2:1安打、1三振、無四球、無失点
・筒井 3分の1:無安打、無三振、無四球、無失点
・福原 1回:3安打、2三振、1四球、1失点
〇吉川 6回:2安打、6三振、1四球、1失点(7試合4勝2敗)
※交流戦が始まり、初戦を飾れませんでした。今日は甲子園へ行って応援します。
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坂越まち並み散策(赤穂市) [旅行]
5月16日(水) 5月4日に赤穂市坂越地区を散策した時の記事を掲載中です。
木戸門跡から海までの旧街道沿いに連なるこの地区(鳥井町・本町)は、往時の面影を最もよく残しているところです。「坂越まち並み館」をはじめ入母屋の大屋根の造り酒屋や酒蔵の白壁、近世後半期から明治初期にかけての厨子二階建の町屋、寺院の門などがならび、連続したなかに変化に富む通りを形成しています。そして、ほどよい通りの幅もあいまって、落ち着いた雰囲気を醸し出しています。
↓「木戸門跡」


↑港の入口として、木で作られた門がここにありました。港では、大きな帆船(廻船)が積み荷の到着を待っていました。たくさんの荷車が、塩や米などを積んでこの門を通って行ったのです。門の大きさは、幅が約4m、高さが約2mでした。
↓「坂越まち並み館」(無料)

↑この建物は、今は「坂越まち並み館」として使っていますが、元は銀行(奥藤銀行)でした。江戸時代も終わりに近づく頃、坂越の大きな帆船(廻船)は、もっぱら塩を運んでいました。ところが明治時代になると、日露戦争の資金を作るために塩の販売は政府が行うことになりました。このため船主たちは、廻船の仕事をやめて銀行を始めたのです。この銀行の向かい側にも、別の船主が始めた銀行(坂越銀行)がありました。
↓奥藤酒造の白壁の酒蔵

↓「奥藤商事㈱」
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奥藤家は、大名の本陣に当てられたほどの格式の高い家屋で、約300年前の建築と伝えられ、当家が営む酒造りの蔵が並ぶ坂越で一番町なみが美しい所です。
↓「奥藤郷土館」(無料)


↓「奥藤酒造の売店」


↑試飲可能でしたが、車運転しますので遠慮しました。
↓「大道井」(だいどうい)

↑(写真の左側)大道井は「井筒」とも呼ばれ、「生島の船井」「海雲寺の寺井」とともに坂越の三井と言われた古い井戸でした。この井戸は坂越の人達の生活用水として大切にされ、また坂越浦に寄港する船や旅人の飲み水としても利用されていました。しかし昭和10年(1935)に水道が通り、その役目を終えました。この石は大道井の井戸枠の一部です。大道井は今も道路の下に残っています。
↓坂越大道(旧街道)の全景

↓「旧坂越浦会所」(無料)

↑浦会所とは、港を治める役所のことです。坂越の人達は、浦会所に集まって港の事を話し合いで決めていました。浦会所の前はすぐ海でした。大きな帆船(廻船)が荷物をいっぱいに積み込んで、この港から船出しました。この建物は、その頃の姿に復元したものです。2階には赤穂の殿様が港を訪れた時に使った部屋があります。
↓浦会所の二階

↓浦会所の二階からの展望


===================================
◎日本の電機業界の体力衰退
#############################
木戸門跡から海までの旧街道沿いに連なるこの地区(鳥井町・本町)は、往時の面影を最もよく残しているところです。「坂越まち並み館」をはじめ入母屋の大屋根の造り酒屋や酒蔵の白壁、近世後半期から明治初期にかけての厨子二階建の町屋、寺院の門などがならび、連続したなかに変化に富む通りを形成しています。そして、ほどよい通りの幅もあいまって、落ち着いた雰囲気を醸し出しています。
↓「木戸門跡」


↑港の入口として、木で作られた門がここにありました。港では、大きな帆船(廻船)が積み荷の到着を待っていました。たくさんの荷車が、塩や米などを積んでこの門を通って行ったのです。門の大きさは、幅が約4m、高さが約2mでした。
↓「坂越まち並み館」(無料)

↑この建物は、今は「坂越まち並み館」として使っていますが、元は銀行(奥藤銀行)でした。江戸時代も終わりに近づく頃、坂越の大きな帆船(廻船)は、もっぱら塩を運んでいました。ところが明治時代になると、日露戦争の資金を作るために塩の販売は政府が行うことになりました。このため船主たちは、廻船の仕事をやめて銀行を始めたのです。この銀行の向かい側にも、別の船主が始めた銀行(坂越銀行)がありました。
↓奥藤酒造の白壁の酒蔵

↓「奥藤商事㈱」
.jpg)
奥藤家は、大名の本陣に当てられたほどの格式の高い家屋で、約300年前の建築と伝えられ、当家が営む酒造りの蔵が並ぶ坂越で一番町なみが美しい所です。
↓「奥藤郷土館」(無料)


↓「奥藤酒造の売店」


↑試飲可能でしたが、車運転しますので遠慮しました。
↓「大道井」(だいどうい)

↑(写真の左側)大道井は「井筒」とも呼ばれ、「生島の船井」「海雲寺の寺井」とともに坂越の三井と言われた古い井戸でした。この井戸は坂越の人達の生活用水として大切にされ、また坂越浦に寄港する船や旅人の飲み水としても利用されていました。しかし昭和10年(1935)に水道が通り、その役目を終えました。この石は大道井の井戸枠の一部です。大道井は今も道路の下に残っています。
↓坂越大道(旧街道)の全景

↓「旧坂越浦会所」(無料)

↑浦会所とは、港を治める役所のことです。坂越の人達は、浦会所に集まって港の事を話し合いで決めていました。浦会所の前はすぐ海でした。大きな帆船(廻船)が荷物をいっぱいに積み込んで、この港から船出しました。この建物は、その頃の姿に復元したものです。2階には赤穂の殿様が港を訪れた時に使った部屋があります。
↓浦会所の二階

↓浦会所の二階からの展望


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◎日本の電機業界の体力衰退
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「沖縄復帰40周年」発行、 プロ野球年俸 [特殊切手]
5月15日(火) GW中の旅行記を中断し、本日発行された記念切手を紹介します。
郵便事業㈱は、昭和47年(1972)に沖縄が本土復帰してから、平成24年(2012)で40周年を迎えることを記念して、特殊切手「沖縄復帰40周年」を本日発行しました。
今回の切手デザインは、本土復帰40周年の歩みと沖縄の将来像を象徴するものを題材としています。

◎沖縄復帰40周年
発行日:平成24年(2012)5月15日(火)
料額・種類:80円×10種類
シート構成:10枚(縦5×横2)
切手デザイナー:貝淵 純子
版式刷色:グラビア6色
発行枚数:800万枚(80万シート)
↓(1)首里城1、(2)首里城2

↑首里城は、1429年から明治12(1879)年まで琉球王国の居城で、琉球の政治、外交、文化の中心として繁栄しました。平成12(2000)年12月には首里城跡が世界遺産に登録されています。
↓(3)ゴーヤー、(4)マンゴー、(5)蘭1、(6)蘭2


↑ゴーヤー、マンゴー及び蘭は、沖縄の亜熱帯気候の特性を生かし、近年、生産振興が図られています。
↓(7)沖縄美ら海水族館1、(8)沖縄美ら海水族館2

↑沖縄美ら海水族館は、昭和50(1975)年に沖縄本島北部の本部町で開催された沖縄国際海洋博覧会の施設を受け継ぎ、平成14(2002)年に開館した新水族館です。大水槽を泳ぐジンベエザメやマンタ、イルカショーなどが人気です。
↓(9)ゆいレール、 (10)離島架橋(池間大橋)

↑(9)ゆいレールは、平成15(2003)年に開業した、沖縄で戦後初の軌道式の交通機関です。沖縄の玄関口である那覇空港と首里の間を結んでいます。
↑(10)離島架橋(池間大橋)
離島振興の一つとして離島架橋の整備が進められています。図柄は、平成4(1992)年に開通した宮古島と池間島に架かる池間大橋をイメージしています。橋の周囲には、透き通ったエメラルドグリーンの海が広がっています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◎沖縄基地問題のニュース
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◎プロ野球の平均年俸
巨人が5894万円で1位になった。前年まで3年連続1位だった阪神は5229万円で2位になりました。
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郵便事業㈱は、昭和47年(1972)に沖縄が本土復帰してから、平成24年(2012)で40周年を迎えることを記念して、特殊切手「沖縄復帰40周年」を本日発行しました。
今回の切手デザインは、本土復帰40周年の歩みと沖縄の将来像を象徴するものを題材としています。

◎沖縄復帰40周年
発行日:平成24年(2012)5月15日(火)
料額・種類:80円×10種類
シート構成:10枚(縦5×横2)
切手デザイナー:貝淵 純子
版式刷色:グラビア6色
発行枚数:800万枚(80万シート)
↓(1)首里城1、(2)首里城2

↑首里城は、1429年から明治12(1879)年まで琉球王国の居城で、琉球の政治、外交、文化の中心として繁栄しました。平成12(2000)年12月には首里城跡が世界遺産に登録されています。
↓(3)ゴーヤー、(4)マンゴー、(5)蘭1、(6)蘭2


↑ゴーヤー、マンゴー及び蘭は、沖縄の亜熱帯気候の特性を生かし、近年、生産振興が図られています。
↓(7)沖縄美ら海水族館1、(8)沖縄美ら海水族館2

↑沖縄美ら海水族館は、昭和50(1975)年に沖縄本島北部の本部町で開催された沖縄国際海洋博覧会の施設を受け継ぎ、平成14(2002)年に開館した新水族館です。大水槽を泳ぐジンベエザメやマンタ、イルカショーなどが人気です。
↓(9)ゆいレール、 (10)離島架橋(池間大橋)

↑(9)ゆいレールは、平成15(2003)年に開業した、沖縄で戦後初の軌道式の交通機関です。沖縄の玄関口である那覇空港と首里の間を結んでいます。
↑(10)離島架橋(池間大橋)
離島振興の一つとして離島架橋の整備が進められています。図柄は、平成4(1992)年に開通した宮古島と池間島に架かる池間大橋をイメージしています。橋の周囲には、透き通ったエメラルドグリーンの海が広がっています。
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◎沖縄基地問題のニュース
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◎プロ野球の平均年俸
巨人が5894万円で1位になった。前年まで3年連続1位だった阪神は5229万円で2位になりました。
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「坂越」散策・妙道寺(赤穂市) [寺院]
5月14日(月) 現在GW中の旅行記を掲載中です。兵庫県赤穂市の坂越を散策しました。
今回は「妙道寺」です。

【坂越(さこし)】
坂越は、7世紀半ば、中央から難をのがれた秦河勝が漂着し、この地に没したため生島に埋葬されたという漂着伝説からもうかがえるように歴史は古く、17世紀後半からは廻船業の発達により発展してきた港町です。
その坂越の町は、波静かな坂越湾に浮かぶ原生林「生島」(天然記念物)を取り囲む緑豊かな山々と、その山裾の海辺に連担する港町の面影を伝える集落の佇まいが調和して、絵のように美しい光景を保っています。
町の中心部には、旧庄屋などの伝統的歴史的建造物群による古い町なみが形成されており、かっての内海の要衝として拓けてきた港町を偲ばせる風情を今なおとどめています。
かっては、西国大名の参勤交代の港として使われ、赤穂の塩を運ぶ拠点として明治時代まで栄えました。
◎妙道寺 (みょうどうじ)
住所:兵庫県赤穂市坂越1444
電話:0791-48-8024
山号:光明山。宗派:浄土真宗本願寺派。本尊:阿弥陀如来
創建:享徳5年(1532)。開基:学西
本尊の阿弥陀如来は、漁師の網で海から引き揚げたと伝えられています。その証拠に貝のついた跡が残っています。今の本堂は坂越が大きな帆船(廻船)の港として栄えた時代に建てられました。
坂越で、はじめての寺子屋は、この寺で開かれました。
↓「山門」 1753年再建

門の上にある大亀などの彫刻は、見事な芸術品で、必見ポイントです。


↓手水舎

↓「鐘楼」 1749年建立

↓「本堂」 1734年再建

↓「納骨堂」

↓「門信徒会館」


======================
◎昨日の阪神タイガース
回 数:123・456・789・・・・・・・計・・・・・・・(安打) 横浜13:00、 21,953人
阪 神:420・000・002・・・・・・・8・・・・・・・・(6)
DeNA:000・030・000・・・・・・・3・・・・・・・・(9)
【マルチ安打】平野2
【投手】
〇メッセンジャー6回:7安打、7三振、1四球、3失点(自責0)(7試合3勝2敗)
H筒井 1回:1安打、2三振、無四球、無失点
H榎田 1回:無安打、無三振、無四球、無失点
・渡辺 1回:1安打、無三振、1四球、無失点
●国吉1回3分の2:2安打、1三振、6四球、6失点(6試合1勝4敗)
※相手投手の自滅(四球連発)で、早々に試合を決めました。
※阪神は、貯金2で、交流戦に突入します。
#######################
今回は「妙道寺」です。

【坂越(さこし)】
坂越は、7世紀半ば、中央から難をのがれた秦河勝が漂着し、この地に没したため生島に埋葬されたという漂着伝説からもうかがえるように歴史は古く、17世紀後半からは廻船業の発達により発展してきた港町です。
その坂越の町は、波静かな坂越湾に浮かぶ原生林「生島」(天然記念物)を取り囲む緑豊かな山々と、その山裾の海辺に連担する港町の面影を伝える集落の佇まいが調和して、絵のように美しい光景を保っています。
町の中心部には、旧庄屋などの伝統的歴史的建造物群による古い町なみが形成されており、かっての内海の要衝として拓けてきた港町を偲ばせる風情を今なおとどめています。
かっては、西国大名の参勤交代の港として使われ、赤穂の塩を運ぶ拠点として明治時代まで栄えました。
◎妙道寺 (みょうどうじ)
住所:兵庫県赤穂市坂越1444
電話:0791-48-8024
山号:光明山。宗派:浄土真宗本願寺派。本尊:阿弥陀如来
創建:享徳5年(1532)。開基:学西
本尊の阿弥陀如来は、漁師の網で海から引き揚げたと伝えられています。その証拠に貝のついた跡が残っています。今の本堂は坂越が大きな帆船(廻船)の港として栄えた時代に建てられました。
坂越で、はじめての寺子屋は、この寺で開かれました。
↓「山門」 1753年再建

門の上にある大亀などの彫刻は、見事な芸術品で、必見ポイントです。


↓手水舎

↓「鐘楼」 1749年建立

↓「本堂」 1734年再建

↓「納骨堂」

↓「門信徒会館」


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◎昨日の阪神タイガース
回 数:123・456・789・・・・・・・計・・・・・・・(安打) 横浜13:00、 21,953人
阪 神:420・000・002・・・・・・・8・・・・・・・・(6)
DeNA:000・030・000・・・・・・・3・・・・・・・・(9)
【マルチ安打】平野2
【投手】
〇メッセンジャー6回:7安打、7三振、1四球、3失点(自責0)(7試合3勝2敗)
H筒井 1回:1安打、2三振、無四球、無失点
H榎田 1回:無安打、無三振、無四球、無失点
・渡辺 1回:1安打、無三振、1四球、無失点
●国吉1回3分の2:2安打、1三振、6四球、6失点(6試合1勝4敗)
※相手投手の自滅(四球連発)で、早々に試合を決めました。
※阪神は、貯金2で、交流戦に突入します。
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大避神社(赤穂市) [寺院]
5月13日(日) 現在、GW中に兵庫県相生市の親戚の家に行った時の記事を掲載中です。
今回は、歴史的なまち並み景観として、市が保存に努めている「赤穂市の坂越地区」を散策してきましたので、数回に分けて掲載します。最初は、「大避神社」です。
◎大避神社 (おおさけ)
住所:兵庫県赤穂市坂越1299
電話:0791-48-8136
祭神:大避大明神(秦河勝公)、天照皇大神、春日大神
創建:大化3年(647)頃
瀬戸内三大船祭の一つで、平成24年3月に国の重要無形民俗文化財に指定。
http://www3.ocn.ne.jp/~tohara/oosake-2.html
【由緒】
祭神秦河勝公は、中国より渡来した秦氏の子孫で、氏の長として数朝に仕え、特に聖徳太子に寵任された。河勝公は、会計制度を起し、外国使臣来朝の際の接待役等多くの功績を残されている。太子より仏像を賜わり太秦に広隆寺を建立されたことは有名である。また、神楽を創作制定され、今日では雅楽の祖、あるいは能楽の祖として崇められている。
河勝公は、皇極3年(644)に、太子亡きあとの蘇我入鹿の迫害をさけ、海路をたよってここ坂越浦に御着きになり、千種川流域の開拓を推め、大化3年(647)に80余歳で亡くなられた。
河勝公の御霊は神仙化し、村人が朝廷に願い出、祠を築き祀ったのが大避神社の創建と伝えられています。
↓大避神社の鳥居

↓隋神門(仁王門)

延享年間の建物で、右大臣左大臣の隋神と仁王像が背中合わせに安置され、神仏習合の名残りが残っています。


↓梅原猛先生句碑

↑河勝を題材とする新作能を2008年に公開した哲学者・梅原猛は、06年頃から5回ほど神社に訪れ、その時に詠んだ句碑。
↓社務所

↓手水舎

↓「拝殿」 延享3年再建、欅造

↓絵馬堂

↑拝殿両翼の絵馬堂には、40数枚におよぶ大小の絵馬が掲げられている。昔坂越が廻船業で繁栄していたことを示す10数枚の船絵馬が特に目をひき、船絵馬としては日本で最も古い時代のものもあります。その他舞楽や能楽の絵馬、有名な絵師の絵馬もあり、美術館のようです。
↓楽船(複製)

↓拝殿の背後の「本殿」が少し見えます。明和6年再建、欅造。

↓新宮

↑聖徳太子と海の神三座を祀る。
↓稲荷神社

↑元は生島に鎮座していた。
↓荒神社

↑元は東ノ町に鎮座していた。
↓天満神社

↑道真公来浦の由縁で、天神山に鎮座していた。
↓恵美須神社

↑元は本町海岸に鎮座していた。

=======================
◎昨日の阪神タイガース
回 数:123・456・789・・・・・・・計・・・・・・・(安打) 横浜14:00、 21,670人
阪 神:000・000・001・・・・・・・1・・・・・・・・(2)
DeNA:000・002・00×・・・・・・・2・・・・・・・・(9)
【投手】
●岩田 7回:9安打、5三振、1四球、2失点(7試合2勝5敗)打たせてとるタイプでも打たれ過ぎ
・福原 1回:無安打、無三振、1四球、無失点
〇三浦 9回:2安打、1三振、2四球、1失点(5試合4勝1敗)
※8回終了まで、阪神はノーヒット、情けない打撃陣、コーチ陣
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今回は、歴史的なまち並み景観として、市が保存に努めている「赤穂市の坂越地区」を散策してきましたので、数回に分けて掲載します。最初は、「大避神社」です。
◎大避神社 (おおさけ)
住所:兵庫県赤穂市坂越1299
電話:0791-48-8136
祭神:大避大明神(秦河勝公)、天照皇大神、春日大神
創建:大化3年(647)頃
瀬戸内三大船祭の一つで、平成24年3月に国の重要無形民俗文化財に指定。
http://www3.ocn.ne.jp/~tohara/oosake-2.html
【由緒】
祭神秦河勝公は、中国より渡来した秦氏の子孫で、氏の長として数朝に仕え、特に聖徳太子に寵任された。河勝公は、会計制度を起し、外国使臣来朝の際の接待役等多くの功績を残されている。太子より仏像を賜わり太秦に広隆寺を建立されたことは有名である。また、神楽を創作制定され、今日では雅楽の祖、あるいは能楽の祖として崇められている。
河勝公は、皇極3年(644)に、太子亡きあとの蘇我入鹿の迫害をさけ、海路をたよってここ坂越浦に御着きになり、千種川流域の開拓を推め、大化3年(647)に80余歳で亡くなられた。
河勝公の御霊は神仙化し、村人が朝廷に願い出、祠を築き祀ったのが大避神社の創建と伝えられています。
↓大避神社の鳥居

↓隋神門(仁王門)

延享年間の建物で、右大臣左大臣の隋神と仁王像が背中合わせに安置され、神仏習合の名残りが残っています。


↓梅原猛先生句碑

↑河勝を題材とする新作能を2008年に公開した哲学者・梅原猛は、06年頃から5回ほど神社に訪れ、その時に詠んだ句碑。
↓社務所

↓手水舎

↓「拝殿」 延享3年再建、欅造

↓絵馬堂

↑拝殿両翼の絵馬堂には、40数枚におよぶ大小の絵馬が掲げられている。昔坂越が廻船業で繁栄していたことを示す10数枚の船絵馬が特に目をひき、船絵馬としては日本で最も古い時代のものもあります。その他舞楽や能楽の絵馬、有名な絵師の絵馬もあり、美術館のようです。
↓楽船(複製)

↓拝殿の背後の「本殿」が少し見えます。明和6年再建、欅造。

↓新宮

↑聖徳太子と海の神三座を祀る。
↓稲荷神社

↑元は生島に鎮座していた。
↓荒神社

↑元は東ノ町に鎮座していた。
↓天満神社

↑道真公来浦の由縁で、天神山に鎮座していた。
↓恵美須神社

↑元は本町海岸に鎮座していた。

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◎昨日の阪神タイガース
回 数:123・456・789・・・・・・・計・・・・・・・(安打) 横浜14:00、 21,670人
阪 神:000・000・001・・・・・・・1・・・・・・・・(2)
DeNA:000・002・00×・・・・・・・2・・・・・・・・(9)
【投手】
●岩田 7回:9安打、5三振、1四球、2失点(7試合2勝5敗)打たせてとるタイプでも打たれ過ぎ
・福原 1回:無安打、無三振、1四球、無失点
〇三浦 9回:2安打、1三振、2四球、1失点(5試合4勝1敗)
※8回終了まで、阪神はノーヒット、情けない打撃陣、コーチ陣
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