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「はな」と行く四国遍路26(72番・曼荼羅寺2)、阪神の新守護神 [四国八十八]

11月24日(木)   72番札所「曼荼羅寺」の続きの記事です。

◎72番札所・曼荼羅寺2
http://www.88shikokuhenro.jp/kagawa/72mandaraji/
【歴史・由来】
縁起によると、創建は四国霊場で最も古い推古四年(596)。讃岐の領主・佐伯家の氏寺として創建され、初め「世坂寺(よさかでら)」と称していました。弘法大師がこの寺を訪れたのは唐から帰朝した翌年のこと。亡き母玉依御前の冥福を祈るためだったともいわれています。唐の青龍寺にならって伽藍を三年がかりで建立。本尊に大日如来を祀り、唐から持ち帰った金剛界と胎蔵界の曼荼羅を安置し、寺名を「曼荼羅寺」に改めました。
また、四国霊場の古い案内書には、樹齢1200年を超す弘法大師お手植えの「不老松」の存在も紹介されています。高さは4m足らずですが直径が17〜18mもあり、菅笠をふたつ伏せたような印象的な姿で県の自然記念物にも指定されていました。しかし、松食い虫に浸食され、平成14年に伐採されています。
曼荼羅寺の近くには「水茎の丘」という丘がありますが、ここに庵を建てて7年余り暮らしていたのが西行法師。この寺に通い、本堂前の平らな石の上でよく昼寝をしていたようで、この石は「西行の昼寝石」と呼ばれ今も同じ場所にあります。また、その横には「笠掛桜」と呼ばれる桜の木も。西行が都に帰る際、同行者が形見にと桜の木に笠をかけたまま出発したのを見て「笠はありその身はいかになりぬらんあはれはかなきあめが下かな」という歌を詠んだそうです。
※慶長年間兵火のため堂塔および寺宝は悉く烏有に帰し、今の建物はその後に復興された。ほとんどの堂宇は江戸時代以降に建築された。客殿・庫裏・茶堂は昭和以降の建築である。

↓大師堂
曼荼羅12・大師堂.JPG
曼荼羅13・大師堂.JPG
↑鎌倉様式といわれている。平成25年改築。大師像が拝顔できる。

↓護摩堂
曼荼羅18・護摩堂.JPG
↑不動明王を中心とする五大明王を祀る。

↓八幡宮
曼荼羅19・八幡宮.JPG

↓水子地蔵
曼荼羅20・水子地蔵.JPG

↓観音堂
曼荼羅21・観音堂.JPG
↑聖観音立像と胎蔵界大日如来像が拝顔できる。聖観音立像は158cmの檜一木造りで端麗な佇まい。平安後期の作で香川県有形文化財。四国88ヶ所記念切手にこの仏像が描かれている。

↓納経所
曼荼羅22・納経所.JPG

↓御朱印
曼荼羅23・ご朱印.JPG

↓大日如来像
曼荼羅24・大日如来像.JPG

↓休憩所
曼荼羅25・休憩所.JPG

↓笠松大師
曼荼羅26・笠松大師.JPG

↓不老松
曼荼羅27・不老松.JPG
曼荼羅28・不老松.JPG
↑弘法大師が当寺を造営され寺号を「曼荼羅寺」と改称された記念に御手植えあそばされたものにして今も青々と昔を物語っている。行き届いた手入れにより整然たる樹形とその美観は数多の参詣者を驚かしめ年々全国より巡り来る信者たちには見逃すことのできない日本唯一の名松であった。
当寺の庫裏・客殿の前にあって丁度菅笠を二蓋伏せたような形をしているので通称「笠松」と呼ぶ。 樹高四㍍(二間半)、東西十七㍍(九間半)、南北十八㍍(十間)に枝葉を張りて正円形の傘状をなし約二〇〇平方㍍(約二畝歩)の地上を覆っている。主傘部は中央より約二十度の緩傾斜で縁傘部におよび、縁傘部は幅一.七乃至二㍍で蒲鉾状となり地上〇.八㍍にあって主傘部を蛇の目状に団繞して若草萌円頂丘を思わしめる。「今も昔も幼時の樹形や幹の太さに変りはないようです。」と古老は語っている。
 平成13年秋、南西側に葉に一部変色が始まる。樹木医の検査により原因はいわゆる松くい虫であることが判明。平成14年夏、伐採される。
平成15年不老松幹に弘法大師像を刻み安置。「笠松大師」と呼称される。


↓本堂前
曼荼羅29本堂前.JPG

↓本堂
曼荼羅30・本堂.JPG
曼荼羅31・本堂.JPG
↑毎年彼岸の入りの日に本尊金剛界大日如来が開帳される。天井画は平成10年、屋根葺き替えを機に作成された。

↓盛夏の最中でしたので、冷却ネッカチーフを巻く「はな」
曼荼羅32・はな.JPG

※13時46分に曼荼羅寺を出発し瀬戸中央道を経由して帰途につきました。昼食は途中の与島で食べました。第2回「はな」と行く四国遍路の旅は、9月19日実施しました。こちらは後日アップします。


第1回「はな」と行く四国遍路の旅のブログ記事一覧】2016年7月18日~19日逆打ち巡礼
1.82番・根香寺1:2016年9月5日掲載
2.82番・根香寺2:2016年9月6日掲載
3.81番・白峯寺1:2016年9月7日掲載
4.81番・白峯寺2:2016年9月8日掲載
5.81番・白峯寺3:2016年9月10日掲載
6.80番・国分寺1:2016年9月13日掲載
7.80番・国分寺2:2016年9月14日掲載
8.79番・天皇寺元札所・白峰宮:2016年9月19日掲載
9.79番・天皇寺:2016年9月20日掲載
10.78番・郷照寺1:2016年9月24日掲載
11.78番・郷照寺2:2016年9月27日掲載
12.78番・郷照寺3:2016年9月28日掲載
13.77番・道隆寺1:2016年10月5日掲載
14.77番・道隆寺2:2016年10月6日掲載
15.76番・金倉寺1:2016年10月12日掲載
16.77番・金倉寺2:2016年10月13日掲載
17.77番・金倉寺3:2016年10月15日掲載
18.75番・善通寺1:2016年10月25日掲載
19.75番・善通寺2:2016年10月26日掲載
20.75番・善通寺3:2016年10月27日掲載
21.75番・善通寺4:2016年10月29日掲載
22.74番・甲山寺:2016年11月15日掲載
23.73番・出釈迦寺1:2016年11月17日掲載
24.73番・出釈迦寺2:2016年11月18日掲載
25.72番・曼荼羅寺1:2016年11月23日掲載
26.72番・曼荼羅寺2:2016年11月24日掲載

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◎阪神タイガース情報、新守護神はメンデス

↓(デイリースポーツより)
阪神は20日、獲得交渉を続けていた前レッドソックス傘下3Aのロマン・メンデス投手(26)と、来季の選手契約に合意したことを発表した。今後、担当者がメンデスのもとに向かい、契約を締結する運びとなる。クローザー候補の獲得が今オフの外国人補強の課題だった中、新守護神としての期待がかかる。
 必勝リレー確立へ、ようやく欠けていたピースが埋まった。この日、ここまで獲得交渉を行っていたメンデスと、選手契約に合意したことが球団から発表された。来季の新守護神として、期待が集まる右腕だ。
 メンデスは今季、メジャーでの登板こそなかったものの、3Aで32試合に登板。4勝2敗2セーブ、防御率3・38という成績を残した。64イニングで59奪三振の数字も光る。メジャーではすべて中継ぎで、通算45試合に登板してきている。
 最大の武器は191センチ、107キロという巨体を生かした、最速159キロという力強い直球。そこにスライダーなどの変化球を交えた投球が持ち味だ。早くから、中継ぎでの豊富な経験もあり、抑えを任せられる条件はそろっている。
 金本監督はシーズン終了後のオーナー報告の際、外国人補強に関して「投手で言えば、先発より後ろを任せられる戦力」と話し、早くからクローザー候補の獲得を目指していた。ようやく決まった、その「答え」。残留が決定的なマテオや藤川、さらには新たに中継ぎに挑戦する岩崎らと、終盤のリレーを構成する形となりそうだ。
 現在の状態にも不安はない。メンデスは10月下旬からドミニカ共和国のウインターリーグに参加。11日までに中継ぎで8試合に登板して、1勝0敗0セーブ、防御率1・08。計8回1/3を投げて1失点という結果を残しており、好調をキープしている。
 すでに、エリック・キャンベル内野手とも契約合意に達しており、近日中に球団から正式に発表される見通しだ。2人の加入で、三塁を守れる候補とクローザー候補という課題がクリアされた。巻き返しを図る金本阪神2年目の準備が、着々と整えられていく。

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◎昨日の柴犬「はな」

妻がスマイル阪神で買物の間、私は「はな」と周辺を散歩しました。
↓旧西国街道と多田街道も交差点にある「辻の碑」という場所です。
はな3.JPG
はな4.JPG
↑「辻の碑」のブログ記事は、こちらに詳述しています。

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「はな」と行く四国遍路25(72番・曼荼羅寺1)、小品版画作品展 [四国八十八]

11月23日(水)   第1回「はな」と行く四国遍路の旅の最終札所・72番曼荼羅寺の記事です。7月19日(火)13時19分に73番「出釈迦寺」を出発し、13時22分に72番「曼荼羅寺」の駐車場に到着しました。曼荼羅寺は見所が多いので、二回に分けてアップします。

◎72番札所・曼荼羅寺(まんだらじ)
住所:香川県善通寺市吉原町1380-1
電話:0877-63-0072
駐車場200円
http://www.ku-kai.org/88_72.html

山号:我拝師山。宗派:真言宗善通寺派。本尊:大日如来
創建:推古天皇4年(596)。開基:(伝)行基。再興:弘法大師(空海)大同2年(807)
正式名:我拝師山 延命院 曼荼羅寺。札所:四国八十八個所72番

推古4年(596)、弘法大師の先祖である佐伯一族の氏寺として創建され、当時は世坂寺と呼ばれていました。
のち、弘法大師は唐での留学を終えて帰朝後、本尊大日如来をまつり、金剛界と胎蔵界の両界曼荼羅を安置し、母の玉依御前の菩提を祈るために大同2年(807)より3年がかりで大造営を行い、完成と同時に弘法大師自ら曼荼羅寺と改称され、四国霊場に定められました。

【本尊】 大日如来(宇宙最高の仏様)
【真言】 ~おん あびらうんけん ばざらだどばん~
【ご利益】大日如来を拝し祈れば、あらゆる霊徳が得られる。御真言を唱えれば、一切の病が癒え、安産などにご利益が得られます。

曼荼羅5・地図.jpg

↓仁王門
曼荼羅1・仁王門.JPG

↓仁王門の扁額
曼荼羅2・仁王門.JPG

↓金剛力士像
曼荼羅3・金剛力士.JPG曼荼羅4・.JPG

↓仁王門から真っすぐに伸びる参道
曼荼羅6・参道.JPG

↓旧本堂の瓦
曼荼羅7・旧本堂瓦.JPG

↓手水舎
曼荼羅8・手水舎.JPG

↓参道の右側にある「延命地蔵像」
曼荼羅9・延命地蔵像.JPG

↓その隣に「修行大師像」
曼荼羅10・修行大師.JPG

↓参道の左側に「鐘楼」
曼荼羅11・鐘楼.JPG

↓忠魂碑
曼荼羅14・忠魂碑.JPG

↓延命地蔵堂
曼荼羅15・延命地蔵堂.JPG

↓愛染堂
曼荼羅16・愛染堂.JPG

↓地蔵堂
曼荼羅17・地蔵堂.JPG

※大師堂や本堂は、次回に続きます。

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昨日、会期最終日の下記の展覧会を観てきました。

◎小品版画 作品展20世紀巨匠たちの
期間:2016年11月16日~11月22日
会場:阪神梅田本店9階 美術画廊

1950年~1960年代、ピカソやシャガールらの豪華画集を刊行するために制作されたコロタイプ刷り。その中から画家が自筆の”承認”のサインを入れた貴重な作品を展示販売。画集サイズの小品が揃っていました。

↓シャガール「コンコルド広場」コロタイプ
版画1.jpg

↓ピカソ「小さなアルルカン パウロ」コロタイプ
版画2.jpg

●コロタイプ
コロタイプは、美しいガラスの板を原板に使用することから、日本では玻璃版などとも呼ばれていました。製版、印刷とともに大変手間ひまのかかる技術ですが、素晴らしい表現が可能です。
連続階調によるなめらかで深みのある質感、また和紙や特殊なコロタイプインキによる強い耐久性等、表現力と科学性を共に持っており、他の印刷技術の追随を許さぬ独自のものです。
しかし残念ながら、このフランス生まれのコロタイプ印刷では、単色(モノクロ)表現が限界でした。試行錯誤の歳月をかけて、単色の限界を、多色刷(カラーコロタイプ)へと広げる開発研究に成功しました。この新技術修得によって、
微妙な色彩変化や筆力の忠実な表現を必要とする、文化財の再現に大きく貢献してきたのです。

【特徴】
●網点が無く連続階調によって表現されるため、色彩の微妙なニュアンスや筆線の繊細さが原本同様に再現される。
●耐久性が極めて高いインキは、他の版式に比して格段に固くそれだけ顔料比率が高く堅牢であり、永久保存には最も適している。
●原寸大で撮影されたネガを、直接オリジナル原板とするため原本の持つ正確な データを再現することができる。
●平面であればほとんどの物に適合し、特漉の堅牢な和紙や・布・板等に印刷適性を持つ。
(以上はアート静美洞のサイトより引用)

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◎昨日の柴犬「はな」

↓散歩で池田市役所周辺へ行きました。イチョウが黄色に染まり美しかったです。
はな1.JPG
はな2.JPG

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「はな」と行く四国遍路の旅24(73番・出釈迦寺2)、錦織はマレーに惜敗 [四国八十八]

11月18日(金)   73番札所「出釈迦寺」の続きです。

◎73番札所・出釈迦寺2
http://www.ku-kai.org/88_73.html
http://www.shushakaji.jp/
伝説によれば、弘法大師7歳の時、この我拝師山に登り「我れ仏門に入り一切の衆生を済度しよう。我が願い成就するならば、釈迦如来よ我が前に姿を現し給え。成就しない時は一命を捨てて、この身を諸仏に供養し奉る」と唱え、深い谷底に身を投げた時、釈迦如来と天女が現れ抱きとめられたといわれています。
弘法大師は釈迦如来を刻み、一寺を建立して出釈迦寺と名づけたといわれています。
のちに四国霊場開創の折、ここで求聞持法を修し、虚空蔵菩薩を刻み安置したと伝えられています。

【本尊】 釈迦如来(智慧と慈悲を備えた仏様)
【真言】 ~なうまく さんまんだ ぼだなんばく~
【ご利益】御真言を唱えることによって、仏の加護によって悟りが開け煩悩が消えると言われています。

↓大師堂
出釈迦13・大師堂.JPG
出釈迦14・大師堂.JPG

↓本坊
出釈迦15・本坊.JPG

↓本堂前の「はな」
出釈迦16・本堂前のはな.JPG

↓本堂
出釈迦17・本堂.JPG
出釈迦18・本堂.JPG
↑出釈迦寺の本尊である釈迦如来が納められています。約300年前現在の奥の院禅定より、現在の位置に移されました。
「柳の水」の霊験のお礼にと、大阪の豪商様の多額の寄進により、天明4年1774年に本堂が再建され現在に至ります。

↓鐘楼堂建立の寄付依頼看板と釣鐘
出釈迦19・鐘楼堂寄付.JPG

↓当山発祥の霊地へ向かう石段
出釈迦20・当山発祥の霊地へ.JPG

↓地蔵堂
出釈迦21・地蔵堂.JPG

↓修行大師像
出釈迦22・修行大師.JPG

↓虚空菩薩像
出釈迦23・虚空菩薩.JPG

↓捨身ヶ嶽遥拝所
出釈迦24・捨身ヶ嶽遥拝所.JPG
出釈迦25・捨身ヶ嶽禅定.JPG
↑捨身ヶ嶽禅定まで登れなくても、この遥拝所で宝号を唱え、祈願すれば同じくらいの御利益があると言われています。

【空海伝説】 捨身ヶ岳(しゃしんがだけ)禅定
弘法大師空海(幼名真魚)は7歳の時、世を救うという大きな請願をたてました。
そして、讃岐国多度郡(現在の善通寺市)にある五岳(香色山・筆ノ山・我拝師山・仲山・火上山)の中で一番高い我拝師山に登り、三世(前世・現世・来世)の諸仏・十方の菩薩様に念じ
「私は仏法に入って、一切の衆生を済度せんと欲す。私の願いが成就するものならば、お釈迦様よ、姿を現してその証を与え給え。成就せざるものならば一命を捨ててこの身を諸仏に奉げます」
と言って、断崖絶壁の頂より白雲も迷う谷底に身を躍らし飛び降りました。
すると、紫色の雲が湧き起こり、その中に大光明を放って百宝の蓮華に座したお釈迦様が現れ、羽衣を身に纏った天女が降りてきて真魚(弘法大師空海)を抱きとめ「一生成仏」とおっしゃいました。
弘法大師空海は、この神秘不可思議なる仏陀の霊光に感謝し、霊験を永久に記念し、世の人々に仏縁を結ばしめんが為に捨身ヶ岳に寺を建立し、ご本尊のお釈迦様を安置しました。
その後、この地は捨身誓願の霊場として多くの善男善女の信仰の中心となったそうじゃ。
<出釈迦寺捨身ヶ岳禅定より>

↓鐘楼堂建立予定地
出釈迦26・鐘楼堂建立予定地.JPG

◎奥の院 (奥の院へ行くのは断念しましたので、Wikiより記事を転載します)
出釈迦29・奥の院.jpg
我拝師山(標高481m)と中山(標高439m)の間に山門があり我拝師山側の標高380mあたりにある。 出釈迦寺から約1kmの登山口(駐車場あり)から世坂を過ぎると柳の水があり、その上に3台ほどの駐車スペースを越え幾度も折り返しながら登ること徒歩約40分で奥の院「捨身ヶ嶽禅定」の山門に着く。その先の大きな建物が根本御堂(ねもとみどう)で昭和の初め頃、点在していた小さなお堂を統合して建てられた。この地は約300年前に麓に移されるまで札所であった。根本御堂の裏には小さな洞窟があり岩倉大師が祀られていて、さらに鎖場を越え岩場を約100m登ると稚児大師石像があり、ここが最終目的地で幼き空海が身を投げたといわれる「捨身ヶ嶽のお行場」である。その途中には岩壁に彫られた目治篭彫不動尊をお見逃しなく。 根本御堂では、毎月旧暦の15日夜(7月のみ土用丑の日)に信者(誰でも参加可能)が集まり法要があり宿泊する。 その毎月の法会の時は境内から奥の院まで、無料送迎車がでる。それ以外のときは、納経所に頼むと500円で奥の院山門直下駐車場まで自動車での乗り入れが許可される。(急坂の車道のため運転に自信がある人のみで、普通車以下)

※13時19分に73番「出釈迦寺」を出発し、次の72番「曼荼羅寺」へ向かいました。

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◎ツアーファイナル・錦織はマレーに悔しい逆転負け
https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/otherballgame/tennis/2016/11/17/___split_11/

↓(AFPBBニュースより)
男子テニス、ATPワールドツアー・ファイナル(ATP World Tour Finals 2016)は16日、4日目が行われ、大会第5シードの錦織圭(Kei Nishikori)は7-6(11-9)、4-6、4-6で第1シードのアンディ・マレー(Andy Murray、英国)に敗れた。勝利した世界ランク1位のマレーは、準決勝進出に大きく近づいている。
 錦織は、英ロンドン(London)のO2アリーナ(O2 Arena)で7年目を迎えたツアー・ファイナルでは史上最長の試合となる3時間20分の熱戦を演じ、マレーを限界まで追い詰めたが、最後に屈した。この日行われた同組の試合で第3シードのスタン・ワウリンカ(Stan Wawrinka、スイス)が7-6(7-3)、7-6(7-3)で第7シードのマリン・チリッチ(Marin Cilic、クロアチア)を下したため、マレーの4強入りは確定していない。
 ツアー・ファイナルの複雑な規定により、マレーは自らの命運をかけて18日に全米オープンテニス(US Open Tennis Championships 2016)覇者のワウリンカと対戦する。一方の錦織も準決勝進出の可能性を残す中、同日にチリッチと相まみえる。錦織がチリッチに敗れた場合、マレーとワウリンカの4強入りが決まる。
 マレーは、「とにかく懸命に戦った。ケイには走らされたが何とか乗り切った。今シーズンはあと3日(決勝までを含めた3試合)戦えることを願う。そうできるように全力を尽くす」とコメントした。
 気骨ある戦いぶりで逆転勝利を飾ったマレーは、今季記録した自己最長の22連勝にあと1勝と迫る21連勝を記録。ツアー・ファイナルでは、中国・上海(Shanghai)で2008年に行われた前進大会のマスターズ・カップ(Tennis Masters Cup 2008)以来となる初戦からの2連勝を飾り、シーズン終了時の世界ランク1位保持にも前進している。
 一方、準決勝行きの可能性を残す錦織は、「接戦だった。アンディはタフな相手。本当に悔しい。まだ試合があるので、それに向けて準備を整えたいです」と悔やんだ。
「本当に安定したプレーができた。アンディが確実にグループを突破すると思うので、2番手を狙っていきます」

※テレビ中継を深夜まで観戦しました。本当に両者とも死力を尽くした好ゲームでした。マレーの守備力・根性の強さを示した試合でいた。錦織は次戦のチリッチに勝って、準決勝に進んで欲しいですね。(しかし、良い試合の後の試合を、あっさり負ける癖がある錦織)

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「はな」と行く四国遍路の旅23(73番・出釈迦寺1) [四国八十八]

11月17日(木)   7月19日(火)74番札所「甲山寺」を12時34分に出発し、73番札所「出釈迦寺」の駐車場に、12時44分に到着しました。

出釈迦28・地図.jpg

◎73番札所・出釈迦寺 (しゅっしゃかじ)
住所:香川県善通寺市吉原町1091
電話:0877-63-0073
無料駐車場あり
http://www.88shikokuhenro.jp/kagawa/73shusyakaji/

山号:我拝師山。宗派:真言宗御室派。本尊:釈迦如来
創建:奈良後期~平安時代前期。開基:弘法大師
正式名:我拝師山 求聞持院 出釈迦寺。札所:四国八十八個所73番
【歴史・由来】
出釈迦寺の開基には、弘法大師幼少期の数ある伝説のひとつ「捨身ヶ嶽」縁起にゆかりがあります。それは、弘法大師が“真魚”と呼ばれていた7歳の時。我拝師山に登り「私は将来仏門に入り、仏の教えを広めて多くの人を救いたい。私の願いが叶うなら釈迦如来よ、姿を現したまえ。もし叶わぬのなら一命を捨ててこの身を諸仏に捧げる」と、断崖絶壁から身を投じました。すると、紫色の雲が湧き、釈迦如来と羽衣をまとった天女が舞い降り、雲の中で弘法大師を抱きとめました。命を救われ、願いが叶うことを示された弘法大師は、青年になって我拝師山の山頂で虚空蔵菩薩像を刻んで安置し、堂宇を建てたといいます。この場所は「捨身ヶ嶽禅定」といわれ元は札所でしたが、今は寺の奥の院となり、境内から急坂を50分ほど上がった場所にあります。弘法大師が虚空蔵菩薩の真言を100万回唱える「求聞持法」を修めたことから「求聞持院」という院号がつきました。ここで拝むとすばらしい記憶力が得られ、学業成就や物忘れにご利益があるといわれています。
また、弘法大師が身を投じた場所は、ここからさらに100mほど登った場所にあります。下を見れば足のすくむような深い谷底ですが、眼下には讃岐平野や瀬戸内海を一望できる絶景が広がります。

↓参道。背後に我拝師山が見えます
出釈迦1・参道.JPG

↓修行大師像
出釈迦2・修行大師.JPG

↓子宝の三鈷の松
出釈迦3・子宝の三鈷の松.JPG
↑この松は雌松で親の太樹からたくさんの子松がぶどうの房の様にたくさん生まれており、普通は二本の葉先が三本に分かれている非常にめずらしい松です。口コミから広がり、遠方からも多くの方が来られています。
※子宝の三鈷の松葉は、自由に拾い財布などに入れて大事にしてください。

↓安産地蔵像
出釈迦4・安産地蔵.JPG

↓山門へ上る坂道の右側に「干支別守り本尊」の石仏
出釈迦5・干支別守り本尊.JPG

↓山門
出釈迦6・山門.JPG
↑山門は2008年落慶。旧山門は鐘楼門であったが楼門として新築され、その釣鐘は釣鐘堂(鐘楼堂)として分離して建立計画中です。

↓手水舎
出釈迦7・手水舎.JPG

↓石碑と休憩所
出釈迦8・石碑と休憩所.JPG

↓求聞持大師像
出釈迦10・求聞持大師.JPG
↑弘法大師7歳の捨身誓願の霊跡であるとともに、お大師様が四国八十八ヶ所ご開創の砌り、再度当地に巡錫、虚空蔵求聞持の法を修行され、故に当山院号を求聞持院と号します。この求聞持の法とは虚空蔵菩薩のご真言を一百萬遍お唱えする法で、そのご修行のお姿が当山求聞持大師像です。この求聞持の法を修することによって一切の教法の文義悉く暗記する事が出来るといわれています。

↓西行法師の歌碑
出釈迦11・西行法師の歌碑.JPG出釈迦12・西行法師.JPG

↓納経所
出釈迦9・納経所.JPG

↓御朱印
出釈迦27・ご朱印.JPG

※次回の「出釈迦寺2」に続きます。

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「はな」と行く四国遍路の旅22(74番甲山寺)、世界糖尿病デー [四国八十八]

11月15日(火)   四国遍路の旅の記事に戻ります。
2016年7月19日(火)75番札所「善通寺」を12時7分に出発し。74番札所「甲山寺」に12時12分に到着しました。
甲山寺17・地図.jpg

◎74番札所「甲山寺」 (こうやまじ)
住所:香川県善通寺市弘田町1765-1
電話:0877-63-0074
http://www.88shikokuhenro.jp/kagawa/74koyamaji/
山号:医王山。宗派:真言宗善通寺派。本尊:薬師如来
創建:弘仁12年(821)。開基:空海(弘法大師)
正式名:医王山 多宝院 甲山寺。札所:四国八十八ヶ所74番。駐車場:無料
本尊真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
ご詠歌:十二神 味方に持てる 戦には おのれと心 甲山かな

【歴史・由来】
甲山寺周辺は弘法大師の故郷で、幼少時代によく遊んだといわれる場所。平安初期、壮年期になった弘法大師は善通寺と曼荼羅寺の間に伽藍を建立する霊地を探していました。
ある時甲山を歩いていると、麓の岩窟から老人が現れ「私は昔からここに住み、人々に幸福と利益を与え、仏の教えを広めてきた聖者だ。ここに寺を建立すれば私がいつまでも守護しよう。」と言いました。弘法大師は大変喜び、毘沙門天像を刻んで岩窟に安置し、供養しました。
 その後、嵯峨天皇の勅命を受けてこの地にある日本最大の溜池「満濃池」の修築工事を監督する別当に任命された弘法大師。朝廷が派遣した築池使さえも達成できなかった難しい工事です。弘法大師は甲山の岩窟で修復工事の完成を祈願し、薬師如来像を刻んで修法しました。すると大師を慕って数万人の人々が集まり、力を合わせてわずか三ヶ月で完成させたのです。朝廷からこの功績を称えられ、金二万銭を与えられた弘法大師は、その一部を寺の建立にあて、先に祈願をこめて刻んだ薬師如来を本尊とし、安置。山の形が毘沙門天の鎧、兜の形に似ていることから「甲山寺」と名づけられました。

↓山門
甲山寺1・山門.JPG
↑2008年落慶。

↓山門の扁額
甲山寺2・山門扁額.JPG

↓山門を入ると、左側に「茶堂」、正面に「本堂」が見えます
甲山寺3・左茶堂.JPG

↓手水舎
甲山寺4・手水舎.JPG

↓中門
甲山寺5・中門.JPG
↑旧山門と同型。

↓庫裏
甲山寺6・庫裏.JPG

↓納経所
甲山寺7・納経所.JPG

↓御朱印
甲山寺16・ご朱印.JPG

↓本堂
甲山寺8・本堂.JPG
甲山寺9・本堂.JPG
↑本尊を拝顔できる。檜の一木造りで、重厚な姿と力強く引き締まった表情が印象的な薬師如来像が祀られています。

↓大師堂
甲山寺10・大師堂.JPG
甲山寺11・大師堂.JPG
↑2014年に大師像が開帳された。

↓子安地蔵
甲山寺12・子安地蔵.JPG
↑子宝を願ってお地蔵様の前掛けを持ち帰り、叶うと新しい前掛けを持ってくる習わし。

↓淡島社
甲山寺13・淡島社.JPG

↓毘沙門天を祀る岩窟
甲山寺14・毘沙門天.JPG
↑大師堂の左手にある奥行12mほどの岩窟。大師が彫ったといわれる毘沙門天像が祀られています。

↓鐘楼
甲山寺15・鐘楼.JPG

※74番甲山寺を12時34分に出発し、73番出釈迦寺に向かいました。

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◎ゴルフ松山、自己最高タイの6位

↓(朝日新聞デジタルより)
男子ゴルフの13日付最新世界ランキングが発表され、三井住友VISA太平洋マスターズを制した松山英樹は一つ上げて自己最高に並ぶ6位となった。池田勇太は55位で谷原秀人は59位。片山晋呉は95位、石川遼は99位と前週から下がった。
 1位ジェーソン・デー(オーストラリア)2位ロリー・マキロイ(英国)3位ダスティン・ジョンソン(米国)は変わらなかった。

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◎世界糖尿病デーで青く浮かぶ大阪城 http://www.asahi.com/articles/ASJCG5WVYJCGPQIP00Z.html?iref=comtop_list_nat_n01
大阪城.jpg
↓(朝日新聞デジタルより)
「世界糖尿病デー」の14日、シンボルカラーの青色で建物をライトアップするイベントが全国各地であり、大阪市の大阪城も夜空に青く浮かび上がった。世界的な脅威となっている糖尿病の予防や治療の大切さについて理解を深めようと、インスリン発見者の誕生日の11月14日に定められ、10年前に国連が公式に認定した。日本糖尿病協会によると、今年ライトアップされた施設は東京都庁や名古屋城、長崎の眼鏡橋など全国183カ所。2012年現在、日本では予備群を含めて約2050万人が糖尿病を抱えているという。

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「はな」と行く四国遍路21(75番・善通寺4)、ピコ太郎「PPAP」 [四国八十八]

10月29日(土)   第75番札所・善通寺の最後の記事です。

◎第75番札所・善通寺(東院と塔頭)
住所:香川県善通寺市善通寺町三丁目3番1号

平安時代初頭の807年に真言宗開祖空海の父である佐伯善通を開基として創建された。伽藍は創建地である東院と、空海生誕地とされる西院(御誕生院)に分かれている。
本尊真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
ご詠歌:我住まば よも消えはてじ 善通寺 深き誓ひの 法のともしび

東院は、お大師さまが自ら建立された、もともとの「善通寺」です。大同2年(807)臘月(陰暦12月)朔日、斧始めをなして、尾背山より木材を運び、諸堂の建立が始まり、弘仁4年(813)善通寺伽藍諸堂が落慶しました。この時建立された堂塔は、金堂、大塔、講堂、法花堂などの15宇でありまして、お大師さまが密教を学んだ、唐の長安・青龍寺の伽藍を模して建立されたと伝えられています。 しかしながら、永禄元年(1558)の兵火によって、その時までの約750年現存していた創建当初の伽藍諸堂は全焼してしまいました。 その後、戦国時代が終わり、生駒家、京極家といった讃岐の大名をはじめとした、朝野にわたる援助により再建が進み、現代に至ります。

↓天神社
東院13・天神社.JPG
↑1914年建立。木造平屋建、瓦葺、一間社流見世棚造。

↓赤門
東院14・赤門.JPG
↑東門が本来の名称。その朱色の塗装から「赤門」と呼ばれています。

↓赤門の外からの景色、常行堂、五重塔
東院15・赤門、常行堂、五重塔.JPG

↓常行堂
東院16・常行堂.JPG
東院17・常行堂.JPG
↑釈迦堂(勅願常行堂):延宝年間(1673年-1681年)再建。桁行五間、梁間六間、入母屋造、本瓦葺軒唐破風付向拝。

↓足利尊氏利生塔
東院18・足利尊氏利生塔.JPG
↑五重塔の南東、東院の境内隅にある石塔が「足利尊氏の利生塔」です。暦応元年(1338年)、足利尊氏・直義兄弟は夢窓疎石(むそうそせき)のすすめで、南北朝の戦乱による犠牲者の霊を弔い国家安泰を祈るため、日本60余州の国ごとに一寺一塔の建立を命じました。寺は安国寺、塔は利生塔と呼ばれ、讃岐では安国寺を宇多津の長興寺に、利生塔は善通寺の五重塔があてられました。利生塔は興国5年(1344年)、善通寺の僧正・宥範(ゆうばん)によってもうひとつの五重塔として建てられましたが、焼け落ちた後、高さ2.8mの角礫凝灰岩(かくれきぎょうかいがん)の石塔が形見として建てられています。

↓法然上人逆修塔
東院19・法然上人逆修塔.JPG
↑高さ四尺(130cm)の五輪石塔。逆修とは、生前に自ら後世の菩提を祈ることです。法然上人は建永2年(1207)の「承元の法難」により讃岐へ配流せられ、しばし善通寺に居住されました。その折にこの塔を建立されたと伝わっています。

↓経蔵
東院20・経蔵.JPG

↓龍王社
東院21・龍王社.JPG
↑1808年建立、1861年改修。木造平屋建、瓦葺、一間社流造。

↓鐘楼
東院22・鐘楼.JPG
↑江戸時代末期再建。桁行三間、梁間二間、入母屋造、本瓦葺、初層袴腰、上層は擬宝珠高欄付縁。

↓南大門(撮るのを失念したので、市のサイトより借用)
東院23・南大門.jpg
↑善通寺の正門。金堂と同じく永禄元年(1558)の兵火によって焼失し、長らく再建されませんでした。現在の建物は、日露戦争捷記念として1908年頃再建されました。木造、本瓦葺、間口7.6m、左右袖塀付。高麗門形式の平唐門。

↓善通寺のご朱印
善通寺39・ご朱印.JPG

◎塔頭
現在残っている善通寺の塔頭は、観智院、華蔵院、玉泉院、仙遊寺の4寺院です。

★観智院
本尊・十一面観音菩薩(子安観音) さぬき三十三観音霊場25番。
塔頭1・観智院.JPG
塔頭2・観智院.JPG
塔頭3・観智院.JPG

★華蔵院
本尊・毘沙門天 49あったと云われる塔頭のうち現在4つ残った一つで、僧坊のあと寺院になったとのこと。
塔頭4・華蔵院.JPG
塔頭5・華蔵院.JPG

※広い境内の「善通寺」を1時間かけて参拝後、次の74番・「甲山寺」へ向かいました。

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◎ピコ太郎「PPAP」がギネスに

↓(朝日新聞デジタルより)
 「ペン」「アップル」「パイナップル」のほぼ3語を組み合わせただけの45秒の曲「PPAP(ペンパイナッポーアッポーペン)」が、米ビルボード誌の「THE HOT 100」にチャートインした中で最も短いとしてギネス世界記録に認定された。歌っているピコ太郎さんが28日、東京都千代田区の日本外国特派員協会での会見で明らかにした。
 「PPAP」は、芸人古坂大魔王さんがプロデュースする、パンチパーマのおじさん「ピコ太郎」がステップを踏みながら歌う曲。8月にユーチューブで公開されると、瞬く間に世界中で視聴されるようになり、ビルボード(米国時間18日発表)で77位になった。日本人では松田聖子さん以来26年ぶり。


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「はな」と行く四国遍路20(75番・善通寺3)、日本シリーズ2勝2敗の五分 [四国八十八]

10月27日(木)   第75番札所「善通寺」の西院(誕生院)を参拝後、東院(伽藍)に向かいました。
善通寺3・東院.jpg

◎第75番・善通寺 (東院)
↓(Wikiより)
善通寺は、真言宗善通寺派総本山。屏風浦五岳山誕生院と号する。本尊は薬師如来。四国八十八箇所霊場の第七十五番、真言宗十八本山一番札所。和歌山県の高野山、京都府の東寺と共に弘法大師三大霊場に数えられる。
平安時代初頭の807年に真言宗開祖空海の父である佐伯善通を開基として創建された。伽藍は創建地である東院と、空海生誕地とされる西院(御誕生院)に分かれている。
【歴史】
空海(弘法大師)は讃岐国、現在の善通寺市の出身である。『多度郡屏風浦善通寺之記』によれば、善通寺は空海の父で地元の豪族であった佐伯直田公(さえきのあたいたぎみ、法名善通)から土地の寄進を受け、大同2年(807年)に建立し始め、弘仁4年(813年)に落成したという。空海の入唐中の師であった恵果が住していた長安の青龍寺を模して建立したといわれ、創建当初は、金堂・大塔・講堂など15の堂宇であったという。寺号の善通寺は、父の名前である佐伯善通から採られ、山号の五岳山は、香色山(こうじきざん)・筆山(ひつざん)・我拝師山(がはいしざん)・中山(ちゅうざん)・火上山(かじょうざん)の5つの山の麓(ふもと)にあることから命名された。
善通寺の文献上の初見は、『東寺百合文書(とうじひゃくごうもんじょ)』に収められた寛仁2年(1018年)の「讃岐国善通寺司解」(さぬきのくにぜんつうじしげ)という文書である。ここで善通寺は、東寺の末寺として登場し、「弘法大師御御建立」「大師御霊所」とされ、空海の先祖による創建だとする伝えが古くから存在したことがわかる。境内からは白鳳から奈良時代にさかのぼる古瓦が出土しており、善通寺は実際には佐伯一族の氏寺として創建されたのではないかと推定されている。
本格的に興隆をむかえるのは鎌倉時代に入って、天皇や上皇からの庇護や荘園の寄進を受けてからである。この保護の背景には、平安後期に広まった弘法大師信仰があり、誕生の地に伝わり大師自筆とされる「瞬目(めひき)大師像」への崇敬がある。建長元年(1249年)には誕生院が建立され、東の伽藍、西の誕生院という現在の形式が出来上がった。鎌倉時代の善通寺の本寺は、東寺、随心院、大覚寺、再び随心院と変転しつつも、室町時代以降は足利氏の庇護を受けつつ自律的経営を目指した。
永禄元年(1558年)三好実休の兵火に遭い伽藍を焼失するが、天正16年(1588年)に生駒親正から28石、生駒一正から35石の寄進を受けたことなどで立ち直る。近世には高松松平家や丸亀京極家の庇護を受けて大いに栄えた。近世の善通寺の史料は少ないが残された絵図類などから、金堂や五重塔などの再建に奔走する傍ら、西院の御影堂を中心に参詣空間を充実させ、19世紀前半には完成したのが見て取れる。また、明治に入ると付近に陸軍基地が置かれ、軍都として発展した。現在も陸上自衛隊善通寺駐屯地がある。

↓中門
東院1・外からの中門.JPG
東院2・内からの中門.JPG
↑江戸時代末期再建。木造2階建、入母屋造、本瓦葺。

↓五百羅漢
東院3・五百羅漢.JPG
東院4・五百羅漢.JPG

↓佐伯祖廟
東院5・佐伯祖廟.JPG
↑大師さまの父・善通公「佐伯明神」と母・玉寄御前「玉寄明神」を祀る。

↓五重塔
東院6・五重塔.JPG
↑1884年再建。高さ43m、総欅造、三間五重塔婆、本瓦葺。江戸時代末期の安政年(1854年)に着工し、3代の棟梁が携わって、明治35年(1902年)に竣工した。二重〜五重の内部にも床板を張り、人が登れる構造になっている。

↓五社明神
東院7・五社明神.JPG
↑雲気大明神、大歳大明神、大麻大明神、広浜大明神、蕪津大明神の五社明神を二宇相殿で祀っている。この五社は、元の善通寺領の氏神で、寺領安穏を祈るため勧請された。

↓三帝御廟
東院8・三帝御廟.JPG
↑「三帝」とは、後嵯峨天皇、亀山天皇、後宇多天皇。しばしば善通寺に綸旨院宣を賜い、御叡信殊に深い方々です。御廟は、遺勅により爪髪を収め宝塔を建立。

↓大楠
東院9・大楠.JPG

↓善通寺の境内は、犬の散歩禁止ですので、ずーっと「はな」を背負って参拝しました。
東院10・金堂.jpg

↓金堂(本堂)と子授修行大師
東院11・金堂と子授修行大師.JPG
↓金堂(本堂)
東院12・金堂.JPG
↑元禄12年(1699年)上棟。入母屋造、本瓦葺き。外観は二層に見えるが、構造的には一重裳階(もこし)付きで、方三間の身舎(もや)の周囲に一間の裳階をめぐらす(「間」は長さの単位ではなく、柱間の数を表す)。粽(ちまき)付の円柱を用い、貫を多用し、組物を詰組とし、桟唐戸、花頭窓、波連子の欄間、海老虹梁を用いるなど、禅宗様の構造や意匠を多用するが、天井を鏡天井でなく小組格天井とするのは和風の要素である。柱には粽を設けるが礎盤は省略している。垂木は身舎を禅宗様の扇垂木、裳階は平行垂木とする。内部は敷瓦を四半敷きとし、仏師・北川運長により造られたと云われる本尊薬師如来坐像(寄木造り、漆箔、像高約3mの丈六仏、江戸中期作)を安置する。

※東院の記事は、次回にも続きます。

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◎日本シリーズ 第4戦

回数:123・456・789・・・・計・・・・(安打) 札幌ドーム、18:30
広島:000・100・000・・・・1・・・・(6)
日ハム:000・001・02×・・・・3・・・・(5)

【本塁打】中田ソロ、レアード2号2ラン
勝利投手:谷元、 セーブ:宮西、 敗戦投手:ジョンソン

※9回表、広島は2死満塁、打者丸で、3-2フルカウントと詰め寄ったが、三振でゲームセット。
これで、日本ハムは、2勝2敗の五分に戻しました。

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「はな」と行く四国遍路19(75番・善通寺2)、3戦目は日ハム勝利 [四国八十八]

10月26日(水)   第75番札所「善通寺」の西院(誕生院)の続きの記事です。

◎第75番札所・善通寺2(西院)
http://www.zentsuji.com/keidai/
西院には、もともと、お大師さまの出自の佐伯家の邸宅がありました。東院の「善通寺」創建の時には、父君善通公も母君玉寄御前も佐伯家の方々は、この邸宅にお住まいになっていたのです。その後、善通公の一族は京都に住まわれることになり、後の世において、その跡地に御影堂を中心とした「誕生院」が整備されました。御影堂奥殿のある場所は、その佐伯家邸宅のありし時は母君のお部屋のあった場所と伝わっており、まさしく今奥殿の建つこの場所こそが、お大師さま御誕生の聖地なのであります。

↓聖霊殿
善通寺19・聖霊殿.JPG
善通寺20・聖霊殿.JPG
↑昭和15年(1940)建築。戦没英霊の遺骨奉安のための「忠霊堂」。

↓延命龍観音、地蔵堂
善通寺21・延命龍観音、地蔵堂.JPG
善通寺22・地蔵堂.JPG
↑地蔵堂は、1940年建築。

↓護摩堂
善通寺23・護摩堂.JPG
↑1940年建築。不動明王をお祀りするお堂。護摩を修する道場。

↓親鸞堂
善通寺24・親鸞堂.JPG
↓親鸞堂の駒札
善通寺25・親鸞駒札.JPG
↑浄土真宗の開祖・親鸞聖人の尊像を安置しているお堂。この尊像は、「鎌田の御影」とも云い、聖人は、その師・法然上人が詣でられ逆修供養塔も建てられた善通寺に詣りたいという願いを果たせず、その願望を込め自作されたものと伝わる。

↓納経所
善通寺26・納経所.JPG

↓鐘楼
善通寺27・鐘楼.JPG

↓手水舎
善通寺28・手水舎.JPG

↓回廊
善通寺29・回廊.JPG
↑御影堂前の回廊は、1915年建築。

↓回廊と御影堂(大師堂)
善通寺30・回廊と本堂.JPG

↓御影堂(大師堂)と稚児大師像
善通寺31・本堂と稚児大師像.JPG
↑弘法大師が誕生された佐伯家の邸宅地に建ち、奥殿には大師自作と云われる本尊・瞬目大師像が秘蔵されている。誕生院は建長元年(1249)行蓮上人によって創建されました。現在の建物は天保2年(1831)に建立され、昭和11年に修築されたものです。また御影堂の地下には約100mの「戒壇巡り」があり、暗闇の中、宝号を唱えながら大師と結縁する道場となっています。

↓蓮弁祈願所
善通寺32・蓮弁祈願所.JPG

↓いろは会館
善通寺33・いろは会館.JPG
↑お遍路さんのための宿泊施設。善通寺の寺務所もここにあります。

↓大玄関、宗務庁
善通寺34・大玄関、宗務庁.JPG

↓境内より仁王門を見る
善通寺35・仁王門内から.JPG

↓仁王門
善通寺37・仁王門.JPG
善通寺36・仁王門.JPG
↑西院の正門。門の外側左右には金剛力士像が立ち、内側には大草履が奉安されています。この仁王門にかかる門前の石橋は、昔は毎月20日にのみ通行できたということから「廿日橋」といいます。

↓勅使門と勅使橋
善通寺40・勅使門と勅使橋.JPG

↓西院から東院へ向かう道
善通寺38・東院への道.JPG

※東院は次回にアップします。

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◎日本シリーズ第3戦大谷のサヨナラ安打

回数:123・456・789・10・・・・計・・・・(安打) 札幌ドーム、18:30
広島:020・000・001・0・・・・3・・・・(8)
日ハム:100・000・020・1×・・・4・・・・(6)  広島の2勝1敗

【本塁打】エルドレッド3号2ラン
勝利投手:バース、 敗戦投手:大瀬良

※広島は、拙い守備もあり、嫌な負け方で、黒田の最後の登板を飾れず。

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◎スイス・インドアーズ・バーゼル、錦織2回戦へ進出

↓(朝日新聞デジタルより)
男子テニスのスイス室内は24日、スイスのバーゼルで開幕。故障から復帰した世界ランキング5位で第3シードの錦織圭(日清食品)は、シングルス1回戦で世界77位のドゥサン・ラヨビッチ(セルビア)を7―5、6―1で下した。
 錦織は5日の楽天ジャパンオープン2回戦で臀部(でんぶ)を痛めて途中棄権。その後のマスターズ上海大会を欠場し、これが復帰戦だった。
 錦織は世界41位のニコラ・マユ(フランス)―同38位パオロ・ロレンツィ(イタリア)の勝者と2回戦で対戦する。

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「はな」と行く四国遍路18(75番・善通寺1) [四国八十八]

10月25日(火)   四国遍路の記事に戻ります。10時55分に76番「金倉寺」を出発し、11時7分に75番「善通寺」の大駐車場に到着しました。(撮影は7月20日)

◎第75番札所・善通寺
住所:香川県善通寺市善通寺町3-3-1
電話:0877-62-0111
http://www.88shikokuhenro.jp/kagawa/75zentsuji/
山号:五岳山。宗派:真言宗善通寺派。寺格:総本山
創建:大同2年(807)。開基:佐伯善通(弘法大師の父)
本尊:薬師如来。正式名:屏風浦 五岳山 誕生院 善通寺
伽藍は創建地である「東院」と、空海誕生地とされる「西院」(御誕生院)に分かれる
札所:四国八十八個所75番、真言宗十八本山1番

宝亀5年(774)6月15日弘法大師は現在の御影堂が建立されている場所で誕生されたと伝えられています。唐から帰朝し、大同2年(807)真言宗弘通の勅許を得て、先祖の氏寺として屏風浦に道場建立を志し、父佐伯善通卿から園林を提供され、6ヵ年の歳月を要し伽藍を建立、弘仁4年(813)完成。
真言発祥の道場で四国霊場に定め、紀州の高野山・京都の東寺とともに三大霊跡と称されています。
東院には、西国・板東・秩父百観音像五百羅漢像が安置されています。
寺名は父佐伯善通公の名をとり「善通寺」と名付けられました。山号は香色山、筆山、我拝師山、中山、火上山の五岳の麓にあることから「五岳山」と号します。院号は弘法大師御生誕にちなんで「誕生院」と称します。
善通寺は東西二院に分かれ、東を東院又は伽藍といい、西を西院又は誕生院といいます。

鎌倉時代に佐伯家の邸宅跡に「誕生院」が建立され、江戸時代までは、善通寺と誕生院のそれぞれに住職をおく別々のお寺でしたが、明治時代に至り善通寺として一つのお寺となりました。現在は真言宗善通寺派の総本山であり、また四国八十八ヶ所霊場の75番札所でもあります。
 現在の善通寺は「屏風浦五岳山誕生院善通寺」と号し、山号の「五岳山」は、寺の西にそびえる香色山・筆山・我拝師山・中山・火上山の五岳に由来し、その山々があたかも屏風のように連なることから、当地はかつて「屏風浦」とも称されました。そして、「誕生院」の院号は、お大師さま御誕生の地であることを示しています。御誕生所である善通寺は、京都の東寺、和歌山の高野山とならぶ弘法大師三大霊跡のひとつとして、古くから篤い信仰をあつめてまいりました。
総面積約45,000平方メートルに及ぶ広大な境内は、「伽藍」と称される東院、「誕生院」と称される西院の東西二院に分かれています。金堂、五重塔などが建ち並ぶ「伽藍」は、創建時以来の寺域であり、御影堂を中心とする「誕生院」は、お大師さまが御誕生された佐伯家の邸宅跡にあたり、ともに弘法大師御誕生所としての由縁を今に伝えています

まず、駐車場のある「西院」から巡拝しました。
善通寺2・西院.jpg

↓大駐車場 普通車200円
善通寺4・駐車場.JPG

↓駐車場の山側にある「香色山ミニ四国八十八ヶ所」案内図
善通寺5・香色山ミニ四国八十八ヶ所の参拝.JPG

↓香色山
善通寺6・香色山.JPG

↓空海記念碑
善通寺7・空海記念碑.JPG
↑弘法大師が修行に行かれた中国西安(長安)の青龍寺跡に四国の有志により建立されたものを縮小し復元したもの。

↓物産会館、交通安全地蔵尊
善通寺8・物産会館、交通安全地蔵尊.JPG

↓済世橋
善通寺9・済世橋.JPG
↑弘法大師が中国に修行の時、洛陽の洛水に架かる天下の名橋・天津橋を渡られました。この故事により、天津橋を復元したもの。

↓正覚門
善通寺10・正覚門.JPG
善通寺11・正覚門.JPG

↓パゴダ供養塔
善通寺12・パゴダ供養塔.JPG
↑金色の釈迦像が1躰鎮座している。

↓遍照閣
善通寺13・遍照閣.JPG
善通寺14・遍照閣.JPG
↑一階奥にミニ八十八ヶ所、二階の大広間で12月に先達が補任される会がある。

↓七福神
善通寺15・七福神.JPG

↓怨親平等の碑
善通寺16・怨親平等の碑.JPG

↓聖天堂
善通寺17・聖天堂.JPG
↑平成18年再建、聖天さまをお祀りするお堂。

↓光明殿、聖観世音菩薩
善通寺18・光明殿、聖観世音菩薩.JPG

※「西院」の記事は続きます。

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◎GPシリーズ第1戦・スケートアメリカ
男子フリー、宇野昌磨が自己最高更新で優勝

↓(ロイターより)
フィギュアスケートのグランプリ(GP)シリーズ第1戦、スケートアメリカは23日、シカゴで男子フリーを行い、ショートプログラム(SP)首位の宇野昌磨が190.19点で1位となり、合計279.34点の自己ベストで優勝した。
宇野は冒頭の4回転フリップを成功させると、4回転トーループ、4回転トーループ─2回転トーループのコンビネーションも決め、4回転ジャンプ3本を成功させた。
ジェーソン・ブラウンが合計268.38点で2位、アダム・リッポン(ともに米国)が合計261.43点で3位だった。
宇野.jpg

順位・名前(国)、          SP、    FS、   合計
1:宇野 昌磨(JPN)        89.15 (1) 190.19 (1) 279.34

2:ジェイソン・ブラウン(USA)   85.75 (3) 182.63 (2) 268.38

3:アダム・リッポン(USA)    87.32 (2) 174.11 (3) 261.43

4:セルゲイ・ボロノフ(RUS)    78.68 (5) 166.60 (5) 245.28

5:金 博洋(キン ハクヨウ)(CHN) 72.93 (8) 172.15 (4) 245.08

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「はな」と行く四国遍路17(76番・金倉寺3)、日本ハムも日本シリーズ進出王手 [四国八十八]

10月15日(土)    第76番札所「金倉寺」の最後の記事です。(7月19日撮影)

◎第76番・金倉寺3 (こんぞうじ)
http://www.ku-kai.org/88_76.html
金倉寺46・地図.jpg
金倉寺は、弘法大師の甥に当たる智証大師の誕生地で、宝亀5年(774)智証大師の祖父和気道暦によって開創され、当時は道善寺と呼ばれていました。
唐から帰国された智証大師は、永らくこの寺に留まり、数多くの堂塔を建て伽藍の修復をされ、のち四国霊場に定められました。
本堂前には、乃木将軍妻返しの松があります。 善通寺第十一師団長だった乃木希典が東京から来た妻を追い返し、夫人はこの松の根方にたたずんだと言われています。

【智証大師(円珍)】
「智証大師」は、子供の頃「日童丸」と呼ばれ、たいそう賢いと評判でした。智証大師が2歳の時には、一人で遊んでいる幼い体からなんとも言えない後光が射しているのを付近の人々が見たといわれています。そして、「きっと仏様が生まれ変わったに違いない。将来は必ず立派なお方になられるだろう。」と、この地に立派な子が生まれたと喜び合ったそうです。また、5歳の時には目の前に天女が現れ、「貴方は三光天の一人、明星天子であり、虚空蔵菩薩の仮の姿。貴方が将来仏道に入るなら私がずっとお守りしましょう。」と告げられたという伝説も。この天女こそが、よその子供を食べた罪でお釈迦様に末子をとられ、子供を失った母の辛さを教えられた後に仏になったとされる「訶利帝母(かりていも)」(別名「鬼子母神(きしもじん)」)でした。こうして訶利帝母に守られて育った智証大師は、修行を重ね、仏法を広めることに精進できたといわれています。

↓納経所
金倉寺29・納経所.JPG

↓ご朱印
金倉寺45・ご朱印.JPG

↓入山大師像(智証大師)
金倉寺30・入山大師像.JPG

↓乃木将軍妻返し松
金倉寺31・乃木将軍妻返し松.JPG

↓金の小判の絵馬
金倉寺32・絵馬.JPG

↓表参道からの眺め、正面は本堂
金倉寺33・正面参道から本堂を望む.JPG

↓水子地蔵
金倉寺34・水子地蔵.JPG

↓鐘楼と歌碑
金倉寺35・鐘楼と歌碑.JPG

↓手水舎
金倉寺36・手水舎.JPG

↓内から見た仁王門
金倉寺40・内から見た仁王門.JPG
↓外から見た仁王門
金倉寺37・仁王門.JPG

↓金剛力士像
金倉寺38・仁王.JPG金倉寺39・仁王.JPG

↓本坊?の表門
金倉寺42・本坊の表門.JPG
↓本坊の庭
金倉寺43・客殿.JPG

↓聖天堂
金倉寺44・聖天堂.JPG

※76番・金倉寺を10時55分に出発、次の75番・善通寺に11時7分に到着しました。

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◎ボブ・ディラン氏のノーベル賞、文学界で賛否噴出

↓(AFPBBニュースより)
http://www.afpbb.com/articles/-/3104313?cx_tag=pc_sns&cx_position=2#cxrecs_s
今年の候補としては、シリアの詩人アドニス(Adonis)氏やケニアの小説家・批評家のグギ・ワ・ジオンゴ(Ngugi Wa Thiong'o)氏が有力視されていた。ディラン氏の受賞は、戦慄(せんりつ)や当惑、歓喜といったさまざまな反応で迎えられた。

また日本では、村上春樹の名前もあがっていた。
↓村上春樹がノーベル賞をとれない理由
http://news.livedoor.com/article/detail/12142636/

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◎プロ野球CS最終ステージ第3戦

DeNA   3-0   ●広島

勝利投手:井納、 敗戦投手:黒田。 本塁打:エリアン2ラン
※投では黒田、打では新井の不振で、1敗目を喫しましたが、王手は変わらず。

●ソフトバンク   1-4   ○日本ハム

勝利投手:有原、 敗戦投手:千賀。 本塁打:中村ソロ、レアード2号3ラン
※日本ハムの3勝1敗で、日本シリーズへ進出に王手。

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