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旧三上家住宅(京都府宮津市) [歴史館・博物館]

8月26日(水)     丹後地方周遊の旅の記事に戻ります。智源寺の次に訪れたのは、重要文化財に指定されている「旧三上家住宅」です。
ペットの入場不可ですので、私だけ見学しました。

◎旧三上家住宅 (重要文化財)
住所:京都府宮津市字河原1850
電話:0772-22-7529
観覧料:一般350円
http://www.amanohashidate.jp/mikamike/

旧三上家住宅は江戸時代に酒造業・廻船業・糸問屋等を営む、宮津城下有数の商家「元結屋(もっといや)三上家」の住宅でした。外見は美しい白壁の造りで、座敷等は非常に質の高い贅を尽くしたものとなっています。

三上家の出自は明らかではありませんが、一説によると但馬国(兵庫県北部)を支配した守護大名・山名氏に仕えていたと考えられています。その後、但馬・因幡(鳥取県東部)で起きた山名氏の内紛により三上一族は丹後に逃れ、一時、宮津藩主・永井信濃守(1674~80年在任)に召し抱えられたこともありましたが、のち町人になったと伝えられています。元結屋元祖の清兵衛が元禄2年(1689)に没しており、創業はその前後のことと考えられます。

宮津藩では町名主として町政に重きをなし、また藩財政にも深くかかわっていました。天保9年(1838)には幕府巡見使の本陣となり、慶応4年(1868)には、戊辰戦争の際の山陰道鎮撫使・西園寺公望の宿所ともなりました。
 明治以降、蒸気船の登場で全国的に北前船が衰退し、三上家も酒造業を中心とした経営に転換しました。昭和初期には、三上勘兵衛が11代目の宮津町長を務めるなど、近代においても三上家は、宮津の政界・実業界で重要な位置を占めていました。
 平成元年に京都府指定有形文化財となった三上家の住宅を、平成8年に宮津市が購入し、調査・整備を進め、平成12年春から一般公開しています。平成15年には主屋をはじめとする8棟が国の重要文化財に指定されました。その間、平成12年には庭園が京都府指定名勝となっています。

↓外観
三上3・外観.jpg

↓拝観出入口
三上4・入口.jpg

↓説明板
三上5・説明.jpg
三上6.jpg

↓配置図
三上1・.jpg

↓観覧券
三上2・観覧券.jpg

↓酒造施設、手前は大釜
三上7・酒造施設.jpg

↓麹室
三上8.jpg

↓北前船コーナー
三上9・北前船.jpg

↓土間
三上10・土間.jpg

ここからは、靴を脱いで座敷に上がります。
三上11.jpg

↓新座敷
三上12.jpg

↓玄関
三上13・玄関.jpg

↓表門
三上14・表門.jpg
↑表門と武家屋敷の玄関は、1838年、幕府巡見使を迎える際、本陣としての形を整えるために造られた。

↓茶室
三上15・茶室.jpg

★三上家庭園 (京都府指定名勝)
庭園は敷地の南隅に位置し、ニワザシキ(庭座敷)から、南方向への座視鑑賞を主とする配置に築かれています。
 池は縁先をめぐるかたちで蛇行し、庭園の中核となる低めの築山上部には、起伏に富んだひときわ背の高い石が豪快に据えられ、その周囲には上部が平らで安定感のある多数の立石を配置して、重畳とした石組の景観を形成しています。築山の裾は池のほぼ中央に突き出し、ニワザシキ側とは反りのある切石の橋で結ばれています。
 家伝では、宮津藩御用庭師の江戸金の作庭と伝え、幕府巡見使や西園寺公望、有栖川宮熾仁親王をはじめ、当家を訪れたり宿泊した人々の目を楽しませたものと思われます。
 石組の迫力が低下していく江戸時代中末期の民家庭園のなかで、一般的な傾向に反して、市中の限られた空間に池と築山を設け、特徴ある形の石を大胆に配置しており、座視鑑賞を強く意識した商家の庭園として価値の高いもので、平成12年に京都府指定名勝に指定されました。

↓茶室前より庭座敷を望む
三上16・庭座敷.jpg

↓庭座敷から茶室方面を望む
三上17・庭座敷から茶室方面.jpg

↓庭座敷から庭園を望む
三上18・庭座敷から.jpg
↑一番の見所ですが、すべての障子が開けられていなかったのが残念です。

↓土の防火扉
三上19・土の防火扉.jpg

※11時6分に旧三上住宅を出発し、「天橋立」へ向かいました。次回に続きます。

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日本民家集落博物館(服部緑地) [歴史館・博物館]

4月1日(水)     本日は、「はな」の満7ヶ月の誕生日です。我家の家族になって、はや4ヶ月経過しました。我家の生活サイクルに、なくてはならない存在になりました。
3月7日に避妊手術のため、お腹の毛を剃られましたが、今では毛もはえ、手術跡もわからない位になりました。現在の体重は、5.25kgです。今日から一日の食事回数を3回から2回に変更します。昼食時には鳴くでしょうね。

↓現在のお腹                                    ↓3月7日手術直後のお腹
はな11・7ヶ月.jpgはな12・めがね.jpgはな13・3月7日.jpg

昨日は、快晴で絶好の花見日和でしたので、服部緑地公園へ行ってきました。
第一駐車場へとめて、服部緑地公園へ入り、まず「日本民家集落博物館」へ入場しました。

緑地10・地図.jpg

◎日本民家集落博物館
住所:大阪府豊中市服部緑地1-2
電話:06-6862-3137
入館料:大人500円。駐車料:2時間520円
http://www.occh.or.jp/minka/

日本民家集落博物館は、日本各地の代表的な民家を移築復元し、関連民具と合わせて展示する為に1956年(昭和31年)に日本で最初に設置された野外博物館です。
大阪府豊中市の服部緑地公園の一角で梅、桜、竹、柿、その他多くの樹木や草花に囲まれた約3万6千m2の敷地内に、北は岩手県「南部の曲家」から南は鹿児島県「奄美大島の高倉」まで11棟の民家を集めています。いずれの民家も17~19世紀(江戸時代)に建築され、昭和30年代まで人々が生活を営んでおられたものであります。その他に奄美大島・山陰のクリ船、堺の風車なども展示しております。

↓日向椎葉の民家(宮崎県)(国指定重要文化財)
緑地1・日向.jpg
緑地9・日向.jpg

↓奄美大島の高倉(鹿児島県)(大阪府指定有形文化財)
緑地2・奄美.jpg

↓堺の風車(大阪府)
緑地3・堺.jpg

↓越前敦賀の民家(福井県)(大阪府指定有形文化財)
緑地4・茶室.jpg

↓南部の曲屋(岩手県)(大阪府指定有形文化財)
緑地5・南部.jpg

↓小豆島の農村歌舞伎舞台(香川県)(大阪府指定有形民俗文化財)
緑地6・小豆島.jpg

↓気分いいワン
緑地7・気分いいワン.jpg

↓大和十津川の民家(奈良県)(大阪府指定有形文化財)
緑地8・十津川.jpg

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◎マイアミ・オープン、錦織ベスト16

錦織 圭   6-2、6-2   ㉜ヴィクトル・トロイキ

錦織は4回戦へ進出。4回戦の相手は、18シードのダビド・ゴフィンです。


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◎選抜高校野球(10日目・準決勝)

●大阪桐蔭(大阪)   0−11   ○敦賀気比(福井)
    ※敦賀気比の6番松本君が、連続満塁本塁打という偉業を達成。もちろん大会史上初。

●浦和学院(埼玉)   1−3    ○東海大四(北海道)

    ※優勝争いは、大阪桐蔭と浦和学院の間と思っていましたが、見事に外れましたね。

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◎昨日の阪神タイガース

3点リードを守れず、能見投手は敗戦投手。エースとは呼べない結果ですね。
これで阪神の連勝は、「3」でストップしました。

回 数:123・456・789・・・・・・・計・・・・・・・(安打) 神宮、 18:05、 26,280人
阪 神:300・000・000・・・・・・・3・・・・・・・・(8)
ヤクルト:010・030・00×・・・・・・・4・・・・・・・・(8)

【本塁打】西岡1号3ラン(1回、成瀬)、雄平1号ソロ(2回、能見)
【マルチ安打】鳥谷2、ゴメス2
【投手】
●能見   5回(7安打、2三振、3四球、4失点(1敗)  無駄な四球が多い
・安藤   1回:1安打、無三振、無四球、無失点
・榎田   1回:無安打、1三振、2四球、無失点
桑原   1回:無安打、1三振、無四球、無失点
○成瀬   5回:6安打、1三振、3四球、3失点(1勝)
Sバーネット 1回:無安打、無三振、1四球、無失点(1勝1S)

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◎ハリル日本、2戦目快勝

○日本   5-1   ●ウズベキスタン
  ※日本のゴール:青山、岡崎、柴崎、宇佐美、川又
世界ランク53位の日本は、格下の世界ランク72位のウズベキスタンに快勝。


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大津街歩きⅡ(大津祭曳山展示館) [歴史館・博物館]

11月12日(水)      大津街歩きの続きです。この日のお目当ての一つである「大津祭曳山展示館」にやってきました。大勢の人でいっぱいです。

◎大津祭曳山展示館
住所:滋賀県大津市中央1-2-27
電話:077-521-1013
入館料:無料。定休日:月曜
湖国三大祭の一つ大津祭をテーマにした展示館。大津祭は江戸時代初頭に創始されたといわれており、13基の曳山が、それぞれコンチキチンのお囃子にあわせ、各山のテーマに応じたからくりを披露します。展示館では原寸大の曳山の模型をはじめ、映像での大津祭の紹介も行っており、いつでも大津祭の賑わいと楽しさを体感することができます。

↓展示館の正面
大津祭1・曳山展示館.jpg

↓展示館の側面
大津祭2・展示館側面.jpg
大津祭3・側面.jpg

↓施設に入って直ぐには、西王母山の原寸大のレプリカが展示
大津祭4・西山母山レプリカ.jpg大津祭5・レプリカ.jpg

↓マルチスライドで大津祭の様子を解説
大津祭6・マルチスライド.jpg

↓2階に上がると、曳山のパネルや懸想品を展示
大津祭7・曳山パネル.jpg

大津祭の曳山一覧
西行桜狸山(さいぎょうざくらたぬきやま)1635年創建。俗に狸山とも呼ばれる。唯一の「くじ取らず」で毎年先頭で巡行する。所望(からくり)は、花の中から仙人が現れて西行法師と問答する。
猩々山(しょうじょうやま)1637年創建。能楽の猩々から考案したもの。所望は、猩々が大盃で酒を飲む。
西王母山(せいおうぼざん)1656年創建。俗に桃山とも呼ばれる。崑崙山に住むと言われる西王母から考案したもの。後に桃太郎の説話を加味したものとなった。所望は、桃が二つに割れ童子が生まれる。
西宮蛭子山(にしのみやえびすやま)1658年創建。俗に鯛釣山とも呼ばれる。蛭子を出して飾っていたものを、後に曳山に載せるようになった。所望は、えびすが鯛を釣り上げる。
殺生石山(せっしょうせきざん) 1662年創建。別名玄翁山。狐山とも。能楽の殺生石から考案したもの。所望は、玄翁和尚の法力により石が二つに割れ、玉藻前の顔が狐に変わる。
湯立山(ゆたてやま)1663年創建。俗におちゃんぽ山とも呼ばれる。天孫神社の湯立ての神事から。所望は、笹で湯を奉り、巫女が神楽を奏する。
郭巨山(かっきょやま)1693年創建。俗に釜掘山とも呼ばれる。中国二十四孝の一人郭巨から考案したもの。所望は、郭巨がくわで穴を掘り、黄金の釜を出す。
孔明祈水山(こうめいきすいざん)1694年創建。蜀の諸葛孔明から考案したもの。所望は、孔明が扇を開いて水を招くと、水が涌き上がり流れ落ちる。
石橋山(しゃっきょうざん)1705年創建。俗に唐獅子山とも呼ばれる。謡曲の石橋から考案したもの。所望は、岩石の中から唐獅子が出てきて牡丹の花に戯れ遊び、また岩の中に隠れる。
龍門滝山(りゅうもんたきやま)1717年創建。俗に鯉山とも呼ばれる。登竜門の故事から考案したもの。所望は、龍門の滝を鯉が躍り上がる。
源氏山(げんじやま)1718年創建。紫式部の源氏物語から考案したもの。所望は、紫式部が月を見ながら構想を練る様子を表現。
神功皇后山(じんぐうこうごうやま)1749年創建。神功皇后が鮎を釣り戦勝を占ったという伝説から考案したもの。所望は、皇后が岩に弓で字を書く所作をすると、岩に文字が現れる。かつては鮎釣り山、征韓山とも呼ばれた。
月宮殿山(げっきゅうでんざん)1776年創建。俗に鶴亀山とも呼ばれる。謡曲の鶴亀(月宮殿)から考案したもの。所望は、頭上に鶴と亀の冠をつけた男女の舞人が皇帝の前で舞う。

↓曳山の所在地(マウスを置くと拡大します)


↓2階の展示室には、13基の曳山のミニチュアが並んでいます。
大津祭8・曳山ミニチュア.jpg

↓カラクリの様子
大津祭9・カラクリ.jpg大津祭10・からくり.jpg

↓西王母山の説明板
大津祭11・西王母山.jpg

大津祭曳山展示館を出て、中町通を西に歩いていきました。
↓「寺田屋お登勢実家・升屋跡」光風堂
大津祭12・寺田屋お登勢実家・升屋跡・光風堂.jpg

↓「大津百町館」
大津祭13・大津百町館.jpg
↑手作りの提灯が展示されていました。

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◎ATPワールドツアーファイナルズ

【Aグループ】一次リーグの初戦
ワウリンカ③     6-1、6-1     ●ベルディハ⑥

ジョコビッチ①     6-1、6-1     ●チリッチ⑧

【Bグループ】一次リーグの第2戦
初戦を共に勝利した錦織圭とフェデラーが対戦しています。結果は明日報告します。

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小谷城戦国歴史資料館、小谷寺(滋賀県長浜市)、甲子園90周年を勝利 [歴史館・博物館]

8月2日(土)      7月5日の長浜ドライブ記を長々続けましたが、いよいよ最終回です。
「小谷城戦国歴史資料館」で、長浜浪漫パスポートを最後の5施設目として使用しました。

◎小谷城戦国歴史資料館
住所:滋賀県長浜市小谷郡上町139
電話:0749-78-2320
入館料:一般300円。休館日:火曜日
http://www.eonet.ne.jp/~odanijou-s/
戦国時代に北近江を統治した浅井三代、そして400年の時を経て国指定史跡として大切に守られてきた小谷城跡。当館では3人の城主と、その居城である小谷城にスポットを当てています。

↓入口
小谷城1.jpg
小谷城2.jpg

↓小谷城戦国歴史資料館
小谷城3.jpg

↓入館時もらったパンフレット
小谷城4.jpg

【第一展示室】小谷城主・浅井三代
 戦国年表・浅井家、三姉妹の系図・浅井家ゆかりの史跡マップ等展示

【第二展示室】浅井氏の居城・小谷城
 浅井家、小谷城10の質問・小谷城案内・映像シアター・曲輪復元イラスト等展示

★参考サイト:小谷城の生い立ち・小谷城の七不思議

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◎小谷寺 (おだにじ)
住所:滋賀県長浜市湖北町伊部329
電話:0749-78-0257
山号:如意輪山。宗派:真言宗豊山派。本尊:如意輪観音(秘仏・ )
開山:奈良時代の神亀5年(728)、泰澄大師
慈悲料:200円。浅井氏の祈願寺
近江湖北27名刹霊場11番札所、びわ湖百八霊場37番札所、准四国八十八ヵ所第14番札所、伊香三十三ヶ所番外札所、(本山は西国三十三ヶ所第8番の長谷寺)
http://www.biwako-visitors.jp/search/spot.php?id=605
http://www.biwa.ne.jp/~kohoku-s/chiiki/kank_odanitera.htm

もとは奈良時代に小谷山の山頂に修験の寺として建立(当初は妙法院常勝寺といわれた)。浅井氏より小谷城築城のため移転を要請され、小谷城下に移転。小谷城落城時に寺院焼失。落城後、秀吉の許しを受け再建。お市が柴田勝家に嫁ぐ途中に、小谷寺に立ち寄り厨子を奉納した。

↓小谷寺参道
小谷寺3・参道.jpg

↓小谷寺の山門と鐘楼
小谷寺1・山門と鐘楼.jpg

↓鐘楼の説明文
小谷寺2・鐘楼.jpg

↓駐車場の方にある「小谷神社」
小谷寺4・小谷神社.jpg

↓小谷神社の説明文
小谷寺5・神社.jpg

↓本堂(観音堂)
小谷寺6・本堂.jpg
小谷寺7・本堂.jpg
本尊の如意輪観音(22cm金銅像)は半跏思惟像の秘仏。

↓説明板(マウスを置くと拡大します)


↓本堂より少し後方の高い場所にある「お堂」
小谷寺9.jpg

↓境内の地蔵たち
小谷寺10・地蔵.jpg

【7月5日の長浜ドライブ記一覧】
1.黒田官兵衛博物館(長浜城歴史博物館)歴史館等:2014.7.19
2.長浜宿散策:2014.7.20
3.長浜大手門通り「茂美志や」、夏中さん:2014.7.22
4.豊国神社、願養寺:2014.7.24
5.大通寺Ⅰ:2014.7.26
6.大通寺Ⅱ:2014.7.27
7.良◎寺(長浜びわこ大仏):2014.7.28
8.大河ドラマ館、木之本地蔵院:2014.7.29
9.黒田家御廟所、正覚寺:2014.7.31
10.小谷城戦国歴史資料館、小谷寺:2014.8.1

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◎昨日の阪神タイガース

回数:123・456・789・10・・・・・・・計・・・・・・・(安打) 甲子園、 18:00、 44,682人
横浜:020・001・100・0・・・・・・・4・・・・・・・・(14)
阪神:002・200・000・1・・・・・・・5・・・・・・・・(13)

【本塁打】バルディリス11号2ラン(2回、藤浪)
【マルチ安打】上本2、鳥谷2、マートン2、福留2、伊藤2
【打点】今成1、ゴメス1、福留1、藤浪2
【投手】
・藤浪   7回:11安打、10三振、2四球、4失点(打たれ過ぎ)
・福原   1回:無安打、無三振、無四球、無失点
・ 呉    1回:2安打、3三振、1四球、無失点
榎田   1回:1安打、1三振、無四球、無失点(2勝1敗)
・井納   5回:9安打、無三振、1四球、4失点
●大原 3分の1:2安打、無三振、1四球、1失点(2勝1敗)

※甲子園球場生誕90周年の記念日を、福留のサヨナラ安打で飾る。
※DeNAの拙い攻守により、勝たせてもらった試合ですね。
※藤浪の7者連続三振は、球団タイ記録だそうです。

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池田市立歴史民俗資料館、 阪神3.5差の2位で折り返し [歴史館・博物館]

7月17日(木)     先日、池田市立歴史民俗資料館へ行って、企画展「池田市美術展ゆかりの作家たち」をブログにアップしましたが、今回は資料館の常設展や周辺について紹介します。

◎池田市立歴史民俗資料館
住所:大阪府池田市五月丘1-10-12
電話:072-451-3019
休館日:月・火
開館:昭和55年(1980)4月
駐車場:図書館と共用あり
年4回の企画展、年1回秋の特別展、常設展
http://www.city.ikeda.osaka.jp/sisetu/rekisi/

【常設展】無料
旧石器時代から近代にわたる「池田」の歴史的・文化的特性を、考古・歴史・民族・美術工芸などの資料を通じて紹介する。特に、池田市内の遺跡、遺構からの出土遺物(弥生~戦国期)をはじめ、池田の歴史、文化に関する様々な資料を分かり易く展示しています。

↓図書館。奥が歴史民俗資料館です。
池田市6・図書館.jpg

↓歴史民俗資料館の入口
池田市7・歴史民俗資料館.jpg

↓資料館の前の野外展示スペース
池田市8・屋外展示.jpg

↓絹延橋を建て替えた時、近くにあった絹延小橋がなくなったので、石碑だけ、ここに移設。
池田市9・絹延小橋.jpg

↓村重の塚
池田市10・村重の塚.jpg
↓説明板(マウスを置くと拡大します)


↓資料館の裏山にある「五月ヶ丘古墳」
池田市12・五月ヶ丘古墳.jpg
池田市13・古墳.jpg
↓説明板
池田市14.jpg

↓陶棺は、資料館の常設展で、展示されています。
池田市15・五月丘古墳の陶棺.jpg

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◎昨日の阪神タイガース

回数:123・456・789・・・・・・・計・・・・・・・(安打) ナゴヤドーム、 18:00、 29,033人
阪神:000・002・000・・・・・・・2・・・・・・・・(7)
中日:000・000・000・・・・・・・0・・・・・・・・(3)

【マルチ安打】上本2
【打点】上本1、大和1
【投手】
○メッセンジャー 8回:3安打、13三振、2四球、無失点(8勝7敗)
S 呉     1回:無安打、2三振、無四球、無失点(1勝2敗22S)
●吉見    7回:6安打、2三振、1四球、2失点(1敗)

※前半戦最後の9連戦が始まる前に、私は6勝3敗でいけば、後半戦も期待できると書きました。
結果は6勝2敗(1試合中止)と、期待以上の成績でした。これで、首位巨人に3.5差の2位で、後半戦に向えます。オールスター戦の期間に十分充電して、後半戦に臨んでほしいですね。

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池田市美術展ゆかりの作家たち(池田市立歴史民俗資料館)、藤浪初完投 [歴史館・博物館]

7月16日(水)     我が町、池田市の見所の一つである「池田市立歴史民俗資料館」へ先日行ってきました。この資料館の記事は後日アップします。今回は、この資料館の小展示室での企画展をご紹介します。

◎池田市美術展ゆかりの作家たち
期間:2014年5月14日~7月20日
会場:池田市立歴史民俗資料館 小展示室

以下の文章・作品は、開場で配布されたリーフレットより転載
【はじめに】
昭和32年(1957)から開催されている池田市美術展は北摂を代表する公募展であり、ふるくから文化的な水準が高い地域といわれる池田の現代史を知る上で大変注目すべき展覧会といえます。
今回の企画展では、歴史民俗資料館などが所有する池田市美術展にゆかりのある作家の作品を紹介し、池田の文化史、現代史の一面に触れていただきたいと思います。
*池田市美術展:絵画など5部門で構成されている公募展。55回目を迎える今年は、新しくなった中央公民館を会場として9月21日から9月27日に開催される。

【芸術家が集う地 池田】
 池田市美術展の開催までには、ふたつの流れがありました。ひとつは、池田市在住の芸術家の間で、地域における芸術発展を目指す機運が高まったことです。池田は自然豊かで大阪市内にも近いという良好な住環境を有しており、数多くの芸術家が居住しました。
 たとえば、関西画壇の中心人物のひとり、鍋井克之は昭和5年(1930)に現在の住吉1丁目に転居し、同44年に亡くなるまで創作活動の拠点としていました。
 鍋井のほかにも日展の胡桃沢源人・融紅鷥夫妻、二紀会の森本健二、山本直治などが石橋に住み、小西謙三、古家新らは室町に居を構えました。戦後日本の画壇の第一線で活躍していた作家たちが、池田市内で交流を重ねていき、そのなかで、地域の芸術発展に積極的にかかわる必要性を感じていたようです。

【市民の芸術への意識と美術協会の発足】
 もうひとつの流れは、芸術を趣味とする池田市民のなかに、先の芸術家たちと同じ思いが生まれたことです。昭和31年(1956)、室町の居住者を中心に芸術創作の同好会「ささなき会」が生まれ、互いの作品を持ち寄り展覧会なども開いていました。同会のメンバーをはじめ、多くの市民の間に美術協会の創設と池田市規模の展覧会開催を望む声が高まっていきました。
 こうして「池田市美術展を持とう!」という趣旨のもと、昭和32年2月15日、鍋井を中心に、胡桃沢夫妻ら画家のほか、「ささなき会」メンバーの市民らが集まり、池田市美術協会が発足しました。協会は発足以降、池田市の芸術発展に寄与し、市の文化行事に参画して力をつくしました。

【池田市美術展の開催】
 池田市美術協会の発足に続き、昭和32年6月に第1回「池田市美術展」が市立池田幼稚園を会場として開催されました。同展は「美術への健全な発展助言と指導育成又啓蒙」という趣旨にもとづき、公募審査制が採用されています。また、美術展の運営は、池田市美術協会と池田市で構成する、池田市美術展委員会を設置して行いました。
 ちなみに第1回審査員には鍋井克之、胡桃沢源人、森本健二、融紅鷥、小西謙三、古家新、城口幸男が委嘱されています。

【池田市美術展の展開】
 昭和44年(1969)の第10回からは、鍋井記念賞(鍋井賞)が設けられました。関西画壇の重鎮であった鍋井の名を冠したこの賞は、今でも洋画家にとって特別な賞とされています。
 池田市美術展の会場は、第2回からは池田市中央公民館で行われています。それ以降は同47、48年に建替えにともない、呉服小学校などへ移動することがありましたが、基本的には公民館で行われていました。
 同展は、はじめ絵画の部しか設けられていませんでしたが、第20回からは書、第30回からは彫塑と写真、第37回から工芸の部が加えられ、合わせて5部門で構成されるようになりました。現在では、池田市だけでなく近隣からも作品を寄せられるような、北摂を代表する公募展に成長しています。

↓「スペイン・トレド サンマルタン橋」 平通武男(1973年制作)
池田市1.jpg

↓「おしどり」 融紅鷥(1976年制作)
池田市2.jpg

↓「冬の猪名川」 城口幸男(1977年制作)
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↓「裳」 水嶋山耀(1971年制作)
池田市4.jpg

↓「捨てられた魚」 山本直治(1979年制作)
池田市5.jpg

↓「壁 VENEZIA」 伊藤岳
池田市.jpg

※9月開催される池田市美術展は、是非観に行こうと思っています。

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◎昨日の阪神タイガース

回数:123・456・789・・・・・・・計・・・・・・・(安打) ナゴヤドーム、 18:00、 26,602人
阪神:300・002・300・・・・・・・8・・・・・・・・(9)
中日:000・000・100・・・・・・・1・・・・・・・・(5)

【本塁打】鳥谷6号3ラン(1回、雄太)
【マルチ安打】マートン2、新井貴3
【打点】鳥谷3、マートン1、新井貴2、新井良1
【盗塁】上本(1回、7回)。 【失策】伊藤、ゴメス、今成
【投手】
藤浪   9回:5安打、13三振、2四球、1失点(7勝4敗)
●雄太   6回:7安打、4三振、2四球、5失点(3勝4敗)

※藤浪はプロ入り初完投勝利です。
藤浪.jpg
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誓願寺、西見附、鍵屋資料館(枚方宿Ⅰ)、錦織3回戦進出 [歴史館・博物館]

6月27日(金)        6月7日に仕事で、大阪府枚方市に行ったついでに、「枚方宿」を散策しました。訪問した当日は、雨が降っていたので、「枚方宿」の半分程度を散策して帰りました。これから、数回に分けて「枚方宿」を紹介してまいります。

◎枚方宿(ひらかたじゅく)
東海道五十三次でしが、慶長6年(1601)徳川家康は、京から大坂までを「京街道」と称して、4つの宿場を設けました(伏見、淀、守口、枚方)。そこで東海道五十七次の56番目の宿場が「枚方宿」と呼ばれます。
もともとは文禄5年(1596)豊臣秀吉の命により、淀川左岸に堤防が整備され(文禄堤)大坂京橋から京都伏見に大坂街道(京街道)として使われたのが始まりです。
京都と大坂のほぼ中間にあり、交通の要衝として栄えました。陸の街道だけでなく、淀川を利用した水上交通の中継港としても繁栄しました。
東見附から西見附まで、東西1447m、道幅4.5m、北側の淀川と南側の枚方丘陵の挟まれた宿場でした。
明治時代になり蒸気船の登場、明治6年(1876)JR京都線の開通、明治43年(1910)京阪電車の開通と続き、淀川水運が衰退していきました。
この「枚方宿」の町並みは、平成7年(1995)に枚方市の歴史街道モデル事業地域に指定されました。



車を枚方公園駅近くのパーキングに入れ、駅前から散策を始めました。
↓京阪「枚方公園駅」前です。
枚方11・枚方公園駅.jpg
枚方12.jpg
↑宿場の雰囲気を出していますね。私は小学3年生まで、この駅の近くに住んでいたので懐かしいです。

◎誓願寺(せいがんじ)
住所:大阪府枚方市伊加賀本町5-8
電話:072-841-2976
宗派:浄土真宗本願寺派。山号:竹林山。

↓外観
枚方13・誓願寺.jpg

↓山門の前には「顕如旧跡」の石碑
枚方14・顕如旧跡.jpg

↓本堂
枚方15・誓願寺本堂.jpg

↓鐘楼
枚方16・鐘楼.jpg

↓鬼瓦
枚方17・鬼瓦.jpg

◎西見附
ここが「枚方宿」の西の端です。(マウスを置くと拡大します)


↓町屋カフェ「遊間」
枚方19・町家カフェ遊間.jpg

◎鍵屋資料館(市立枚方宿)
住所:大阪府枚方市堤町10-27
電話:072-843-5128
入館料:大人200円。休館日:火曜日。
http://kagiya.hirakata-kanko.org/

京街道の要衝地の枚方宿の宿屋でした。近年は料理旅館・料亭として営業していましたが、平成9年廃業しました。江戸時代後期の町屋構造をよく残した歴史的建造物であったので、平成9年枚方市の有形文化財に指定され、平成13年に市立枚方宿鍵屋資料館として開館した。
【鍵屋主屋】
「鍵屋」は三十石船の船持ちの宿として栄えました。その主屋を解体修理し、江戸時代の姿に復元しています。
【別棟展示コーナー】
宿場に残された古文書や民具、発掘調査の出土品などを展示。くらわんか舟・三十石船などの模型や映像も使って、枚方宿や淀川舟運の歴史を紹介しています。

↓外観
枚方20・鍵屋.jpg

↓正面入口
枚方21・鍵屋.jpg
枚方22・鍵屋.jpg

↓説明板(マウスを置くと拡大します)


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◎2014FIFAワールドカップ・昨日の結果

【グループE】
 スイス     3-0     ホンジュラス

 フランス    0-0     エクアドル

【グループF】
 アルゼンチン     3-2     ナイジェリア

 ボスニア・ヘルツェゴビナ  3-1  イラン

※グループEの1位はフランス2位はスイスで、決勝トーナメントへ進出。

※グループFの1位はアルゼンチン2位はナイジェリアで、決勝トーナメント進出。

【決勝トーナメント1回戦】
 フランス 対 ナイジェリア
 アルゼンチン 対 スイス

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◎ウィンブルドン2回戦・錦織快勝  

錦織 圭   6-3、6-2、6-1   ●デニス・クドラ

錦織は、今大会3年連続3回戦進出を決めました。
錦織1.jpg
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茨木市立文化財資料館「中川清秀と中川氏」展 [歴史館・博物館]

4月8日(火)       3月15日に訪れた「元茨木川緑地南部周辺散策」の記事の最終回です。

◎茨木市立文化財資料館
住所:大阪府茨木市東奈良3-12-18
電話:072-634ー3433
入館料:無料。休館日:火曜日
開館:昭和59年3月30日
ロビー展示:「ちょっと昔のいばらき展」(1/8~3/24)写真パネルや民具を展示。
常設展示:旧石器時代から現代までの茨木の歴史を約700点展示(今回紹介は割愛)
特別展示:第15回企画展「茨木城主・中川清秀と中川氏」(1/6~3/17)

↓資料館の遠景
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↓資料館の正面
茨木文化財2.jpg

★中川清秀と中川氏
1.中川清秀の誕生
 中川清秀は天文21年(1542)、摂津国中河原村(現在の茨木市中河原町)で生まれたと伝わっています。当時、摂津には伊丹氏、池田氏、茨木氏などの有力な国人がいました。中川清秀は、そのなかの池田氏に仕えていました。
 摂津は三好氏の影響が強かったが、三好一族を母にもつ池田長正から勝正への代替わり、三好三人衆と松永久秀の内紛による三好政権の弱体化の結果、摂津国人が自立、摂津の支配を巡り、争いが起こります。永禄11年(1568)8月、伊丹・茨木氏と池田氏の間でおこった猪名寺(伊丹市)の合戦です。
 しかし、その1ヵ月後、上洛を果たした織田信長が摂津を攻略します。信長は芥川城に和田惟政を入れた以外は、在地の国人の支配関係をそのまま承認します。西摂に池田勝正、伊丹親興、東摂に和田惟政を配置した、いわゆる摂津三守護です。信長による摂津支配の始まりです。
中川1.jpg

2.白井河原の合戦と中川清秀の活躍
 信長による摂津支配は在地の国人の支配関係をそのまま追認しただけだったことから、すぐにほころびをみせ始めます。いわゆる摂津三守護(池田勝正・伊丹親興・和田惟政)のうち、中川清秀が仕えていた池田氏では元亀元年(1570)、池田二十一人衆の荒木村重や中川清秀が池田勝正を追放、池田知正を擁立し、信長と戦っていた三好三人衆に寝返ります。
 その翌年の元亀2年(1571)には、池田方と信長方が摂津国白井河原(茨木市)で激突します。池田方の荒木村重・中川清秀と信長方の和田惟政が戦ったこの合戦は池田方の勝利となり、清秀は敵将和田惟政を討つ武勲をあげます。この勝利で勢いにのった荒木村重らは茨木城も攻略します。その6年後の天正5年(1577)、中川清秀は新庄城(大阪市東淀川区)から茨木城へと移ります。茨木城主中川清秀の誕生です。
中川2.jpg

3.茨木城と中川清秀
 天正5年(1577)中川清秀の入城後、茨木城は拡張整備が進んだとされており、中川氏が去る天正13年(1585)までの間に、惣構えをもつ城下町に整備されたと考えられています。
 中川清秀以後は、豊臣秀吉の代官、片桐氏、徳川家康の代官を経て、元和元年(1615)の一国一城令を受け、廃城となります。
 茨木遺跡の発掘調査で、当時の様子が徐々に明らかになりつつあります。とりわけ注目を集めたのが、平成18年の茨木城東堀の推定地の調査です。流路が見つかり、その中からは江戸時代初期の陶磁器と共に、筬欄間などの建具がまとまって出土しました。筬欄間は格式高いものであることから、城関連の建物や有力寺院のものであった可能性が考えられています。
 また、茨木神社には、当時、中川清秀がだした制札案がのこされています。
中川3.jpg

4.賤ヶ岳の合戦と中川清秀の死
 荒木村重が池田氏から自立した後は、中川清秀は荒木村重の下につきます。その荒木村重は元亀4年(1573)信長に仕えるようになり、摂津国を任されます。しかし、天正6年(1578)荒木村重は信長に謀反します。中川清秀は一度は荒木村重につくものの、義弟である古田重然(織部)の説得により、信長方につき、荒木村重の居城・有岡城(伊丹市)攻めに参加します。その後も信長配下として活躍、天正10年(1582)の本能寺の変以後は羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)につき、明智光秀との山崎の合戦では高山右近と共に先陣をつとめ活躍します。
 梅林寺には、本能寺の変を秀吉に通報した中川清秀に対しての返答の書状が残されています。内容は、信長が無事であるという偽情報であり、中川清秀を味方に引き込むための秀吉の情報戦略がうかがわれます。
 清洲会議以後、柴田勝家と秀吉の対立は激しくなり、天正11年(1583)賤ヶ岳で両者は激突します。中川清秀もこの戦いに参加し、大岩山に布陣します。戦いは秀吉方の勝利となりますが、中川清秀は戦端を開くきっかけとなった勝家方の佐久間盛政の急襲を受け、奮闘するも戦死します。その遺髪は持ち帰られ、梅林寺に葬られました。
中川4.jpg
↑大岩山本陣図(竹田市立歴史資料館蔵)

5.中川清秀の後裔
 中川清秀の死後、その長男である中川秀政が跡を継ぎ、茨木城主となりますが、天正13年(1585)転封され、播磨国三木城主となります。
 天正20年(1592)には、その秀政が朝鮮出兵時、番所見廻りの際に待ち伏せに会い、死亡します。父・清秀が賤ヶ岳の合戦で秀吉方につき討死したことに免じて、弟・秀成が跡目を継ぎます。(「中川氏御年譜」によると、実は見廻り中ではなく、鷹狩り中に襲撃を受け死亡)
 中川秀成は三木城主となりますが、文禄2年(1593)に豊後国岡へ転封を命ぜられます。慶長3年(1598)に、中川秀成が年貢・夫役について領民間の負担を均等にしようとした掟書の写しが残されています。
 中川秀成は、関ヶ原の合戦で徳川方につき、その後、中川氏は岡藩主として繁栄しながら代々続き、幕末を迎えることになります。(以上は、本企画展のパンフレットより転載)
中川5.jpg
↑中川秀成掟書写(竹田市立歴史資料館蔵)

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◎ダルビッシュ史上最速メジャー奪500三振

マー君もダルビッシュの記録に挑戦して欲しいですね。


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大阪府立弥生文化博物館(大阪府和泉市)、 高校サッカー準決勝 [歴史館・博物館]

1月12日(日)               12月15日に毎日新聞販売所より招待券を貰ったので、標記博物館に初めて行ってきました。

◎大阪府立弥生文化博物館
住所:大阪府和泉市池上町4-8-27
電話:0725-46-2162
http://www.kanku-city.or.jp/yayoi/
第1展示室及び第2展示室は常設展で撮影自由、特別展示室は撮影禁止。

↓博物館の外観
弥生2・博物館.jpg

↓第1展示室入口とタイムトンネル
弥生3・第一展示室タイムトンネル.jpg
↑タイムトンネルの先には、2000年の時を超え、日本文化の源流である弥生時代の世界が広がっています。

↓弥生のくらし
弥生4・弥生のくらし.jpg
↑実物大に復元した竪穴住居で弥生人の家族が出迎えます。

↓水田の模型
弥生5・水田模型.jpg
↑農作業を考古学・民族学の成果をもとに、十五分の一の縮尺で復元。

↓新しい技術の誕生
弥生6・新技術.jpg
↑「鉄の威力」「銅鐸の鋳造」「生活の中の技術」をテーマとして技術革新の実態を紹介。

↓ムラ・戦い・クニ
弥生7・ムラ、戦い、クニ.jpg
↑「戦い」「権力のシンボル」「卑弥呼の館」をテーマとして階級分化を展示。

↓卑弥呼の館
弥生8・卑弥呼の館.jpg
↑卑弥呼の住まい・高殿・政所・倉庫群・環濠・物見櫓などに、他国の王の使者・裁きの様子・兵士・市のにぎわいなどの風景を、五十分の一の縮尺で復元。

↓交流
弥生9・交流.jpg
↑準構造船の船首部の実大模型を置き、朝鮮半島や中国からの舶来品を展示。

↓死とまつり
弥生10・死とまつり.jpg
↑「弥生時代の墓」「ムラのまつり」「クニのまつり」のテーマで展示。

↓弥生人
弥生11・弥生人.jpg
↑弥生人の人骨レプリカや、人面を描いた土器など弥生人の自画像を展示。弥生犬「海渡」も出土した骨をもとに復元。

↓弥生プラザ~田井中遺跡~
弥生12・弥生プラザ田井中遺跡.jpg

↓触れるコーナー
弥生13・触れるコーナー.jpg

↓第2展示室入口(池上曽根ワールド)
弥生14・第2展示室.jpg
↑博物館に隣接する国史跡池上曽根遺跡からの出土した遺物を展示。

↓井戸レプリカ
弥生15・井戸レプリカ.jpg
↑弥生時代最大級の井戸。直径約2mのクスノキをくりぬいて作られています。

↓池上曽根遺跡で出土した弥生土器を展示。
弥生16・池上曽根ワールド.jpg

↓特別展示室入口(室内撮影禁止)
弥生17・特別展示室.jpg
弥生1.jpg
◎吉備と邪馬台国~霊威の継承~
期間:平成25年10月22日~12月23日
卑弥呼の墓とも目される奈良県桜井市の箸墓古墳。その墳丘で行われた祭祀は、遠く離れた吉備地方に源流をもつものだった。波穏やかな瀬戸内海の島々と、「吉備の穴海」に面した肥沃な平野部、広大な中国山地で栄えた吉備の弥生文化の中に、王権の発祥と古墳成立の謎を探る。(以上はパンフレットより)
【展示構成】
第1章:吉備弥生文化の成立と発展
第2章:吉備のマツリと呪的世界
第3章:王の出現
第4章:墓上の威容
第5章:吉備と邪馬台国

※この博物館の常設展は、ビジュアルな映像や解説シートが多く配置されているので、大変理解しやすいです。特に、小中学生の学習には最適な博物館です。

※この後、和泉市を散策しましたので、順次アップします。

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◎第92回高校サッカー選手権大会・準決勝

○富山第一(富山)    2-2(5PK3)   ●四日市中央工(三重)

○星稜(石川)       4-0        ●京都橘(京都)

※決勝は1月13日で、史上初の北陸対決です。

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古代あさご館(兵庫県朝来市)、 台風18号 [歴史館・博物館]

9月17日(火)        先週末の土曜日に兵庫県朝来市の竹田城と生野銀山へ観光しに行きました。3連休の初日であるので渋滞が予想されたので、自宅を6時35分出発しました。早朝だったですが、中国自動車道の宝塚トンネンを筆頭に大渋滞でした。吉川JCTから舞鶴若狭自動車道へ、春日JCTから北近畿豊岡自動車道を走りました。和田山ICの少し手前に「道の駅・但馬のまほろば」がありましたので、立ち寄りました。

◎道の駅「但馬のまほろば」
住所:兵庫県朝来市山東町大月92-6
電話:079-676-5121
http://www.green-wind.co.jp


この道の駅と隣接して、「古代あさご館」がありましたので、見学しました。
あさご11.jpg

◎朝来市埋蔵文化財センター「古代あさご館」
住所:兵庫県朝来市山東町大月91-2
電話:079-670-7330
入館料:無料
http://inoues.net/club5/asagisi_museum.html
http://www.city.asago.hyogo.jp/

↓古代あさご館の遠景
あさご1・外観.jpg

あさご4.jpg

↓入口
あさご2・入口.jpg

↓企画展のパンフレットの表裏
あさご9・パンフ表.jpgあさご10・パンフ裏.jpg

↓館内の様子
あさご5.jpg
あさご6.jpg
あさご7.jpg
あさご8.jpg

ここで時間をとってしまったので、いそいで竹田城へ向かいました。終点の和田山ICで降りる予定でしたが、昨年11月24日に北近畿豊岡自動車道が延長されていたので、和田山ICで降り損ねて次のICで降り、地道を走りました。おかげで次のような美しい風景に出合いました。
あさご13.jpg
あさご14.jpg

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◎台風18号お見舞い申し上げます


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