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熊野古道を歩く旅(18)熊野本宮大社 [熊野古道]

7月30日(火)       長らく連載してきましたが、このツアーの最終地点である「熊野本宮大社」の記事が最終回です。

【7月6日(土)】
◎熊野本宮大社
http://www.hongutaisha.jp/
本社(証誠殿) :家都美御子大神(素戔嗚尊の別名)
東御前(第4殿・若宮):天照皇大神(若一王子)
西御前(第2殿・速玉宮):御子速玉大神(伊邪那岐大神)
西御前(第1殿・結宮):熊野牟須美大神(伊邪那美大神)

当宮は熊野三山(本宮・新宮・那智)の首位を占め、全国に散在する熊野神社の総本宮で、熊野大権現として広く世に知られています。
 御主神は家都美御子大神即ち素戔嗚尊と申し、樹木を支配される神であり、紀の国(木ノ国)の語源もここから起こっております。
 大神は植林を御奨励になり造船の技術を教えられて外国との交通を開かれ、人民の幸福を図られるとともに生命の育成発展を司られた霊神で、第10代崇神天皇の御代に熊野連が当地に社殿を造営して鎮祭したと伝えられています。
 奈良朝のころから修験の行者が頻繁にここに出入りして修行し、ますます神威が広がりました。延喜7年(約千年前)宇多法皇の御幸をはじめ約300年にわたり法皇・上皇・女院の御幸は実に百数十回に及びました。これが史上有名な熊野御幸であります。
 これと前後して当時の神仏習合によって御主神を阿弥陀如来といって尊び、日本一といわれた霊験を仰ごうとする参詣者は全国各地から熊野の深山幽谷を埋め、「蟻の熊野詣」とか「伊勢に七度熊野に三度どちらが欠けても片参り」などとうたわれるとともに全国に御分社を祭り、その数は現在約五千数社を数えています。
 その後源平の争乱、承久の変、南北朝の戦乱とさまざまの変災の渦中にありながら、人心の信仰はますます高まり、当宮の神威は熊野牛王(おからす様)の神符とともに全国に伝播して明治時代にいたりました。
 現在の社殿は享和2年徳川家斉将軍の命によって紀州侯治宝卿が音無里(現・本宮町大斎の原指定文化財)に建立されましたが、明治22年の大出水にあって現在地に修造して遷座されたものであります。
 この社殿のつくり方を「熊野造」と申し上げます。
なお、旧社地は別社地と呼び石祠二殿を仮宮として西方に中四社、下四社を、東方に元境内摂末社を合祠してあります。(以上は、説明板より)

↓いよいよ最終目的地の熊野本宮大社です。裏の鳥居から境内に入ります。
本宮11・裏鳥居.jpg

↓林の間から、社殿の裏側が少し見えます。
本宮12・林越しに社殿の裏面.jpg

↓いよいよ境内へ
本宮13・境内へ.jpg

↓最初に目にとまったのは「八咫ポスト」です。
本宮14・八咫烏ポスト.jpg
↑【横の掲示板】この八咫(やたがらす)ポストは、通常に投函でき、毎日収集致します。大切な人への想いを、今の自分の想いをここ熊野から旅立たせて下さい。
葉書は社務所にお申し出下さい。記念の八咫スタンプを押印します。

↓八咫烏の由来(マウスを置くと文字が拡大します)


↓社務所
本宮15・社務所.jpg

↓拝殿
本宮16・拝殿.jpg

↓左右の狛犬
本宮17・狛犬.jpg本宮18・狛犬.jpg

↓私達ツアーは、拝殿内で正式参拝をしました。
本宮19・拝殿内で正式参拝.jpg

↓案内図
本宮23・案内図.jpg

↓神門
本宮20・神門.jpg
神門を入ると、神官が社殿の歴史等を説明してくれました。

↓社殿の前に覆いがあり、工事中でした。
本宮21・社殿.jpg
↑社殿の屋根のふき替えは完了しており、只今は社殿を囲む瑞垣と鈴門のふき替え工事中。

↓授与所
本宮22・授与所.jpg

↓宝物殿
本宮24・宝物殿.jpg

↓手水舎
本宮25・手水舎.jpg

↓石段(正面参道)
本宮26・石段.jpg

↓正面の鳥居
本宮27・鳥居.jpg

今ツアーでは、旧社地である「大斎原」に立ち寄らなかったのが残念ですね。
17時16分に熊野本宮大社をバスで出発し帰路につきました。
車中でいろんなプレゼントがありました。
↓本宮のファイル                            ↓熊野本宮大社のスタンプ
本宮30・ファイル.jpg本宮10・スタンプ.jpg

↓福授箸
本宮31・福授箸.jpg

↓完歩証明
本宮28・完歩証明.jpg本宮29.jpg
本宮32・完歩証明.jpg

※梅田には、21時20分到着。完歩を祝して3人で「世界のビール博物館」へ行きました。こちらは後日アップします。

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【熊野古道を歩く旅一覧】
1.第1回(3月9日実施)スタート:7月6日掲載
2.第1回(3月9日実施)滝尻王子:7月9日掲載
3.第1回(3月9日実施)不寝王子跡:7月10日掲載
4.第1回(3月9日実施)高原熊野神社:7月11日掲載
5.第2回(4月6日実施)大門王子、大坂本王子:7月14日掲載
6.第3回(5月12日実施)牛馬童子:7月15日掲載
7.第3回(5月12日実施)近露王子:7月16日掲載
8.第3回(5月12日実施)比曽原王子:7月17日掲載
9.第3回(5月12日実施)野中の清水、継桜王子:7月18日掲載
10.第3回(5月12日実施)中川王子、小広王子:7月19日掲載
11.第4回(6月16日実施)熊瀬川王子:7月21日掲載
12.第4回(6月16日実施)蛇形地蔵、湯川王子:7月22日掲載
13.第4回(6月16日実施)猪鼻王子、発心門王子:7月24日掲載
14.第5回(7月6日実施)水呑王子:7月25日掲載
15.第5回(7月6日実施)伏拝王子:7月26日掲載
16.第5回(7月6日実施)三軒茶屋跡:7月27日掲載
17.第5回(7月6日実施)祓殿王子:7月28日掲載
18.第5回(7月6日実施)熊野本宮大社:7月30日掲載

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熊野古道を歩く旅(17)祓殿王子 [熊野古道]

7月28日(日)       第5回「語り部と行く!中辺路編・熊野古道を歩く旅」の続きです。中辺路コースの最終の王子に向います。

【7月6日(土)】
三軒茶屋跡を過ぎると、ゆるやかなアップダウンの古道が続きます。
↓江戸時代と昭和時代の石畳が混じっている場所。     ↓江戸の石畳をゆるやかに下ります。
熊野50・江戸と昭和の石畳.jpg熊野51・石畳.jpg
↑雨が降っているので、滑りやすく、注意が必要です。

熊野52・72番.jpg熊野53・73番.jpg熊野54.jpg
↑73番道標を過ぎて間もなく、「ちょっとより道」の表示有。

↓「ちょっとよりみち展望台」まで登る途中から、大斎原を望む。
熊野55・ちょっとよりみち展望台.jpg

↓展望台にある和歌山県朝日夕陽百選の碑。↓ここから大斎原の大鳥居が見える絶景ポイント。
熊野56・和歌山県朝日夕陽百選.jpg熊野57・大鳥居.jpg

↓もっとも熊野古道らしい石畳の古道を下ります。
熊野58・石畳.jpg熊野59・石畳.jpg

↓途中にある三体地蔵や74番道標。                   ↓車道に合流
熊野60・三体地蔵.jpg熊野61・74番.jpg熊野62・車道合流.jpg

↓車道を行くと最後の75番道標のある祓殿王子跡に到着。
熊野63・75番.jpg熊野64・祓殿王子.jpg
↑祓殿は祓所または祓戸と書かれることがあるが、いずれもハライドである。この王子は熊野本宮大社のすぐ裏手にあたり、杉やイチイガシの大木のかげに石造の小祠がまつられています。

◎祓殿王子跡(はらいどおうじ)
 前世と現世に心身に積もった汚れを祓い清め、日本第一の霊験をもって知られる熊野三所権現の神威にすがって、祈願し、生命力を蘇らせることを目的とする熊野参詣では、禊(みそ)ぎや祓いが重視された。
 中でもこの王子での祓いは、熊野本宮参詣の前に行なうもので、これまでの道中の祓いにも増して重要であった。
 天仁2年(1109)に貴族・藤原宗忠(1062-1141)は、水呑王子に参拝したのち野路をたどり、祓いを済ませてから本宮の宿所に入って、翌日の参拝に備えた。
 また、およそ100年後の建仁元年(1201)に、和歌の講師として熊野御幸に供奉した貴族・藤原定家(1162-1241)は、この王子近くの地蔵堂で後鳥羽上皇の一行を待ち、本宮の神前に向った。(以上は説明板より)

↓祓殿王子のスタンプ押印所
熊野65・祓殿王子.jpg

↓地図にマウスを置くと拡大します。          ↓祓戸王子のスタンプ
熊野67・祓所王子.jpg

↓ここから約50m先に熊野本宮大社の裏鳥居が見えます。
熊野66・本宮裏鳥居まで50m.jpg

※いよいよ、次回は熊野本宮大社の記事をアップします。

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◎昨日の阪神タイガース

回 数:123・456・789・・・・・・・計・・・・・・・(安打) 甲子園、 18:00、 46,865人
DeNA:000・003・001・・・・・・・4・・・・・・・・(8)
阪 神:000・100・000・・・・・・・1・・・・・・・・(9)

【マルチ安打】大和2、藤井2
【打点】能見1
【投手】
●能見    6回:5安打、8三振、無四球、3失点(16試合8勝5敗)
・加藤 3分の2:1安打、1三振、無四球、無失点
・安藤 3分の1:無安打、無三振、1四球、無失点
・松田    1回:1安打、無三振、1四球、無失点
・ザラテ 3分の2:1安打、1三振、2四球、1失点
・西村 3分の1:無安打、無三振、無四球、無失点
○コーコラン   5回:7安打、3三振、3四球、1失点(3試合1勝2敗)
Sソーサ    1回:無安打、無三振、無四球、無失点(34試合2勝2敗8S)

※阪神は3連敗。後半戦をロケットスタートとはなりませんでした。選手任せで、何の戦略も見てとれませんね。まだ未勝利の相手投手に勝利をプレゼントする好爺の阪神。
※最近の能見は、突然崩れて大量失点していますね。7月15日の巨人戦では1回に四球等自滅で3失点。昨夜の横浜戦でも6回に5安打の集中打を浴びて3失点。頼りにならないですね。

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◎サッカー東アジア杯・なでしこ連覇ならず

日本は、新しいメンバー作りをしている韓国(今大会未勝利だった)に敗れて、大会3連覇出来ませんでした。阪神の野球と、サッカーを二画面テレビで応援していましたが、共通点は決め手がないことですね。なでしこも弱くなったと痛感しましたね。

○韓国   2-1   ●なでしこ日本


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※昨日は京都へ行って来ました。この記事は後日アップします。
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熊野古道を歩く旅(16)三軒茶屋跡 [熊野古道]

7月27日(土)       第5回「語り部と行く!中辺路編・熊野古道を歩く旅」の続きです。

熊野72・三軒茶屋地図.jpg

【7月6日(土)】
伏拝王子跡を14時30分出発、整備された古道を歩きます。
↓69番道標                         ↓蘇生の森熊野古道の碑
熊野40・69番.jpg熊野41・蘇生の森熊野古道.jpg

↓70番道標                  ↓白河上皇の歌碑
熊野42・70番.jpg熊野43・白河上皇歌碑.jpg熊野44・白河上皇.jpg
「山の端に しぐるる雲を さきだてて 旅の空にも 冬は来にけり」 白河上皇
白河上皇(1034-1129)は、9回も熊野御幸を行い、実質的な熊野参詣ブームを作った人。
白河上皇の熊野御幸の詳細を楽しく記した、こちらのサイトは、有益ですよ。

↓九鬼ヶ口吊橋                        ↓三軒茶屋石碑
熊野45・九鬼ヶ口吊橋.jpg熊野46・三軒茶屋石碑.jpg

↓三軒茶屋休憩所
熊野47・三軒茶屋休憩所.jpg

↓九鬼ヶ口関所跡
熊野48・九鬼ヶ口関所跡.jpg

↓通行手形の説明と、道標
熊野49・通行手形、道標.jpg
↑語り部さんが、通行手形のコピーを見せながら説明と解説。
ここの道標はよく掲載されているものです。「右:高野。左:紀三井寺。側面には本宮」とあります。

※最後の王子である「祓殿王子」は次回にアップします。

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◎昨日の阪神タイガース

回 数:123・456・789・・・・・・・計・・・・・・・(安打) 甲子園、 18:01、 46,159人
DeNA:100・001・030・・・・・・・5・・・・・・・(13)
阪 神:000・000・100・・・・・・・1・・・・・・・・(7)

【本塁打】鳥谷6号ソロ(7回、藤井)
【マルチ安打】俊介2        【打点】鳥谷1
【投手】
●スタンリッジ  6回:7安打、4三振、3四球、2失点(16試合5勝7敗)
・松田    1回:2安打、1三振、無四球、無失点
・加藤  3分の1:2安打、無三振、1四球、3失点
・西村  3分の2:1安打、無三振、無四球、無失点
・ザラテ   1回:1安打、無三振、無四球、無失点
○藤井    9回:7安打、6三振、2四球、1失点(17試合6勝3敗)

※DeNA藤井投手は、6勝のうち4勝が阪神からだ。前回は完封負けである。こんなにも苦手な投手に対する対策が何にもされず、同じ失敗の繰り返しの阪神の体制に問題アリ。

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◎マンUと、セレッソ大阪は、引分

・マンU   2-2   ・セレッソ大阪

サッカーのイングランド・プレミアリーグの強豪による国際親善試合が26日、大阪・長居陸上競技場などで行われ、香川真司が所属するマンチェスター・ユナイテッドはJ1のC大阪と2-2で引き分けた。先発出場した香川は0-1の後半序盤に得点した後、途中交代した。宮市亮のアーセナルは埼玉スタジアムでJ1浦和に2-1で競り勝った。
 プレシーズンツアーとしての開催で、香川にとっては2010年シーズン途中まで在籍した古巣相手の「凱旋試合」だった。マンチェスターUは1-2の後半ロスタイムにザハのゴールで追い付いた。
(以上は産経ニュースより)

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熊野古道を歩く旅(15)伏拝王子 [熊野古道]

7月26日(金)      第5回「語り部と行く!中辺路編・熊野古道を歩く旅」の続きです。
「水呑王子」に参拝後は、ゆるやかな下り坂の杉林の古道です。
熊野73・伏拝地図.jpg

【7月6日(土)】
↓蘇生の森駒の古道碑          ↓杉林
熊野21・蘇生の森熊野古道.jpg熊野22・杉林.jpg

↓66番道標            ↓道休禅門の地蔵                67番道標↓
熊野23・66番.jpg熊野24・地蔵.jpg熊野25・67番.jpg
道休禅門の地蔵】伏拝集落の手前の林道に小さな船形の石塔があり、地蔵が浮き彫りされている。前掛けの下には、右に「道休禅門」、左に「九月九日」とある。行き倒れになった一人の僧を悼んだ供養塔とのこと。

↓古道は舗装道に出ます。舗装道をしばらく歩くと、菊水井戸などがある伏拝集落です。68番道標↓
熊野26・舗装道.jpg熊野27・68番.jpg

↓伏拝集落の風景
熊野28・伏拝集落.jpg

↓「ほんまもん」のロケ地
熊野29・.jpg熊野30・ほんまもん.jpg
↑「ほんまもん」は、2001年下半期のNHK連続テレビ小説です。

↓果無山脈
熊野31・果無山脈.jpg

↓伏拝王子跡の前にある休憩所。ここでは有人で飲食物も販売している。
熊野32・伏拝王子前休憩所.jpg

休憩所の前の小高い丘を5mほど登ると「伏拝王子跡」です。
◎伏拝王子跡(ふしおがみおうじ)
 京都を出発した熊野参詣の人々は、およそ260km、歩行12日前後で、このあたりにたどり着いた。そして熊野三山巡拝の最初の目的地である本宮が、遥か彼方の熊野川の中洲に鎮座する光景を目の辺りにして、感動のあまり「伏して拝んだ」という。また、この王子には熊野本宮を目前にしてにわかに月の障りとなり、参拝を断念しようとした女流歌人・和泉式部を、熊野権現が快く受け容れたという伝説もある。
 境内には和泉式部の供養塔と、一定の距離を示すために、13世紀に建てられた笠塔婆がある。(以上は説明板より)

↓伏拝王子跡碑
熊野33・伏拝王子跡.jpg

↓和泉式部供養塔    句と笠塔婆
熊野34・和泉式部供養塔.jpg熊野35・伏拝笠塔婆.jpg

↓境内からの茶畑風景を望む
熊野36・伏拝境内から茶畑.jpg

↓境内から本宮があった「大斎原」を望む
熊野37・遥か本宮を.jpg

↓「ほんまもん」の山中家のロケ現場
熊野38・ほんまもんロケ地.jpg

↓スタンプ
熊野39・スタンプ.jpg

※続きます
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◎昨日の阪神タイガース

回 数:123・456・789・・・・・・・計・・・・・・・(安打) 神宮、 18:00、 29,904人
阪 神:100・000・000・・・・・・・1・・・・・・・・(4)
ヤクルト:100・204・13×・・・・・・11・・・・・・・(13)

【本塁打】相川4号2ラン(4回、藤浪)、バレンティン33号3ラン(6回、ボイヤー)、ミレッジ12号ソロ(8回、高宮)、川島3号2ラン(8回、高宮)
【マルチ安打】西岡2、鳥谷2
【打点】鳥谷1
【投手】
●藤浪    4回:6安打、3三振、2四球、3失点(14試合6勝4敗)新人らしくない精彩を欠く内容。
・渡辺1回3分の1:2安打、1三振、2四球、3失点
・ボイヤー1回3分の2:2安打、1三振、1四球、2失点
・高宮    1回:3安打、1三振、無四球、3失点
○石川    9回:4安打、1三振、2四球、1失点(15試合3勝7敗)

※阪神には、まともな投手はいないのか?
※巨人は大敗しているのに、阪神もおつきあいで大敗。阪神のお人好しと淡白さは体質ですね。

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◎サッカー・東アジア杯(第2戦)

【女子】・日本   0-0   ・北朝鮮

【男子】○日本   3-2   ●オーストラリア


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熊野古道を歩く旅(14)水呑王子 [熊野古道]

7月25日(木)      第5回「語り部と行く!中辺路編・熊野古道を歩く旅」へ7月6日に行って来ました。
全5回のツアーの最終回です。今回は「発心門王子」から「熊野本宮大社」までの約7kmで、よく整備された比較的平坦な道路ですので、いわゆる「御姫様コース」です。ということで、今回は妻も参加し、いつものT氏と3人で参加しました。

熊野1-1地図.jpg(地図をクリックすると拡大します)

【7月6日(土)】
梅田7時20分集合、7時35分バスで出発。難波経由で、途中紀の川SAで休憩し、10時52分「ちかつゆ」で弁当積み込みました。天候は曇り時々雨ですが、激しい雨の場所もありました。
11時30分、道の駅「奥熊野古道ほんぐう」に到着、ここで弁当を食べました。

↓道の駅「奥熊野古道ほんぐう」
熊野4・奥熊野古道ほんぐう.jpg

↓この日の弁当です。
熊野1・弁当.jpg熊野2.jpg
熊野3・弁当.jpg

昼食後、12時5分バスで出発、前回のゴール地点「発心門王子」まで送ってもらいました。
↓発心門王子跡で、下車し、雨具を着て、二班に分かれて歩きをスタートしました。
熊野5・発心門.jpg
↓発心門王子は、前回参拝したので、横目に見ながら舗装道を歩きました。
熊野6・発心門王子.jpg

↓しばらく歩くと、新しく作られた無人の「発心門休憩所」に到着。
熊野7・発心門休憩所.jpg

↓この休憩所の前は、62番道標があり、昔の水道橋?跡らしきものがある。
熊野8・62番と水道橋.jpg

↓休憩所の前は広いので、ここでストレッチ体操です。
熊野9・体操.jpg

↓紫陽花が目を楽しませてくれます。
熊野10・紫陽花.jpg

↓発心門地区の開拓者「河野翁」の顕彰碑と地蔵尊
熊野11・道休禅門の地蔵.jpg

↓ここにも地蔵尊
熊野12・ここにも地蔵.jpg

↓大賀ハスの田と、64番道標
熊野13・大賀ハス.jpg熊野14・64番.jpg

↓このような舗装道もあります。                   ↓歯痛の地蔵
熊野15・舗装道.jpg熊野16・歯痛の地蔵.jpg

↓65番道標のある「水呑王子跡」に到着。
熊野17・65番水呑王子.jpg

◎水呑王子跡(みずのみおうじ)
 貴族・藤原宗忠(1062-1141)の天仁2年(1109)の参詣日記には「内水飲王子」、「新王子」とある。
この「内水飲」とは、2日前に宿泊した「水飲仮屋」に対して、発心門の内すなわち本宮寄りにあることを意味している。また「新王子」とは、文字通り新たに設けられた王子の意味であるが、これはほとんどの王子社が以前から祀られていたことを証している。
 「水呑王子」と刻んだ石碑は、他の王子跡のものと同じく、享保8年(1723)に紀州藩が熊野御幸の史蹟顕彰のために建てたもので、紀北産の緑泥片岩製である。(以上は説明板より)

↓水呑王子跡の説明板とスタンプ押印所
熊野18・水呑王子跡.jpg

↓背後に、ネジバナの自生地があります。(「花と歩く旅」写真集より)
熊野19・ネジバナ花と歩く旅.jpg

↓水呑王子の石碑と、地蔵尊
熊野19・水呑.jpg

↓向って右の地蔵は「腰痛の地蔵」といわれ、腰が割れており、この割れ目にさい銭を置くとのこと。
熊野20・水呑地蔵.jpg

※後日に続きます。
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◎昨日の阪神タイガース

回 数:123・456・789・・・・・・・計・・・・・・・(安打) 神宮、 18:00、 22,392人
阪 神:500・000・610・・・・・・12・・・・・・・・(9)
ヤクルト:000・000・000・・・・・・・0・・・・・・・・(3)

【本塁打】新井良9号2ラン(1回、八木)、10号満塁(7回、松井光)
【マルチ安打】俊介2、新井貴2、新井良2
【打点】俊介1、鳥谷2、新井貴1、今成2、新井良6
【投手】
○メッセンジャー 7回:3安打、10三振、無四球、無失点(18試合9勝4敗)
・ボイヤー   1回:無安打、無三振、無四球、無失点
・松田    1回:無安打、無三振、無四球、無失点
●八木    5回:4安打、4三振、4四球、5失点(16試合2勝7敗)

※新井良のお目覚め2発で大勝。後半戦の初戦を好スタート出来ました。

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熊野古道を歩く旅(13)猪鼻王子・発心門王子 [熊野古道]

7月24日(水)     第4回「語り部と行く!中辺路編・熊野古道を歩く旅」の続きです。


(地図にマウスを置くと拡大します。)

【6月16日(日)】
長い登りを歩いて、やっと三越峠に到着です。ここで小休憩です。ここにはトイレや無料休憩所はありますが、売店や自販機はありません。しかしこの日は、語り部会の会長さんが自家用車に冷えたお茶や水のペットボトルを積んで待っていてくれました。私達は天の救いと思い購入しました。それも100円と良心的な会長さんでした。

↓三越(みこし)峠。ここには関所もあったとのことです。
熊野214・三越関所跡53番.jpg

小休息をし、15時15分に再び歩きはじめました。
↓三越峠の説明板。            ↓54番道標              ↓古道
熊野216・54番.jpg熊野217・古道.jpg

↓崩落現場も横断します。
熊野218・崩落跡.jpg
熊野219.jpg

↓59番道標のある「船玉神社」に到着です。
熊野220・59番、船玉神社.jpg

↓向かって右側に「玉姫稲荷」が祀られています。
熊野221・船玉.jpg

↓向かって左奥に「船玉神社」の社があります。船の神様です。
熊野222・船玉.jpg
船玉(ふなたま)神社の由来】
昔、玉滝という滝があって、その滝壺で神様が行水していると、急に大雨となった。折しも滝壺に浮んでいた一匹の蜘蛛がその大雨に溺死しそうになった。それを神様が見て、榊の葉を投げてやった。蜘蛛はその葉に乗って、手足を使って船を漕ぐようにして無事に岸にたどり着いた。その様子を神様が見て、船というものを思いつき、楠をくりぬいて丸木船を造った。これが最初の船であった。
 船玉神社は本宮大社の奥の院にあたるとも伝えられている。なお、玉滝は明治22年の大水害で埋まって現在はありません。隣の玉姫稲荷は、船玉と夫婦神ともいわれています。(以上サイトより)

◎猪鼻王子跡(いのはなおうじ)
熊野223・猪鼻王子.jpg
熊野224・猪鼻王子跡.jpg
猪鼻王子跡
滝尻王子から本格的な山岳路となった熊野参詣道(中辺路)は、十丈峠、岩神峠を過ぎ、標高約500mの三越峠を越えると、熊野川の流域に入る。
 この猪鼻王子から先の道は、登り下りを繰り返しながら高度を下げ、明治22年(1888)の水害まで熊野本宮大社が鎮座した熊野川の中州「大斎原」へと続く。
 「猪鼻王子」と刻んだ石碑は、享保8年(1723)に紀州藩が熊野御幸の史蹟顕彰のために建てたもので、紀州産の緑泥片岩碑である。(以上は説明板より)

↓猪鼻王子跡を16時45分出発。最後の登り坂を登り終えて、鳥居をくぐると、舗装道路に出ます。
熊野225・最後の坂、鳥居.jpg
↑この鳥居(発心門)をくぐると、聖域に入るといわれている。

↓ここが、発心門王子です。
熊野226・発心門.jpg熊野227・発心門.jpg
↑【藤原定家の歌碑】
「いりがたき みのりのかどは けふすぎぬ いまよりむつのみちにかへすな」
苦行の末、ようやく仏の国に入ったのだから、もはや六道苦の世界に後戻りはするまいという決意を述べたものだとされる。六道=地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天界

発心門王子(ほっしんもんおいじ)
熊野228・発心門王子.jpg
熊野229・発心門.jpg
発心門王子跡
 熊野川の中州に鎮座する熊野本宮まで約7kmの所にあるこの王子の名は、発心門すなわち「悟りの心を開く入り口」とされる大鳥居があったことに由来する。
 天仁2年(1109)に参詣した貴族・藤原宗忠(1062-1141)は、まず門前で祓いをし、発心門は大鳥居であり、参詣の人々は必ずこの大鳥居をくぐること、またはるかに見遣ると恐れを感じることを日記に書き残している。
 また建仁元年(1201)に和歌の講師として後鳥羽上皇の熊野御幸に供奉した貴族・藤原定家(1162-1241)は、王子社の背後にあった南無房という尼の居宅を宿舎とし、門柱に感動と祈願を込めた漢詩と和歌を書き付けている。
 熊野九十九王子の名称は地名や地形に基づいたものが多いが、発心門王子の場合は信仰に関連する命名の代表であり、この王子が果たした役割の大きさを表している。(以上は説明板より)

↓スタンプ帳
熊野232・スタンプ帳.jpg

この日のゴール地点が発心門王子です。ここにバスが迎えに来ていて、17時26分出発。途中紀の川SAで休憩し、梅田に21時25分に帰着しました。
今回は、途中でアクシデントがありましたが、無事帰阪出来たことを祝すため、「がんこ寿司エキマルシェ大阪店」で軽く食事して帰宅しました。

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◎横浜マリノス、マンUを破る快挙


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◎英国、王子誕生



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熊野古道を歩く旅(12)蛇形地蔵・湯川王子 [熊野古道]

7月22日(月)      第4回「語り部と行く!中辺路編・熊野古道を歩く旅」の続きです。

【6月16日(日)】
↓熊瀬川王子跡を過ぎると、「一里塚跡」、「42番道標」と続きます。
熊野198・一里塚跡.jpg熊野199・42番.jpg

↓「草鞋(わらじ)峠」へは急なアップ・ダウンが続く難所の一つです。      43番道標↓
熊野200・草鞋峠.jpg熊野201・43番.jpg
↑【草鞋(わらじ)峠】ここ草鞋峠(標高592m)は、西に小広峠、東に岩神峠をひかえ、谷川を渡っては上り下りする相次ぐ峠の一つである。平安・鎌倉時代に、小平尾(小広峠)に接して、大平尾と称されたのが、この峠のことかとみられる。
江戸時代には、草鞋峠という名称のほか、この峠の西側の坂は熊瀬坂、東側の坂は女坂とも呼ばれた。この付近の山道は、蛭降(ひるふり)峠百八丁といわれ、山ビルに悩まされた所だという。(以上は説明板より)

↓しばらく行くと林道に出、「迂回路」の看板です。
熊野202・迂回路.jpg
※2011年9月の台風12号の大雨の影響で、小広峠~船玉神社の区間が通行止めになった。そして昨年3月に迂回路が開通し、中辺路ルートが歩けるようになった。迂回路は、仲人茶屋跡から蛇形地蔵までの3.5km。林道や里道を含めて4kmの迂回路により、従来の古道よりも500m長くなった。本来の古道の復旧には、なお時間がかかるそうです。

↓迂回路図(地図にマウスを置くと、拡大します)


迂回路に入った階段状の下り坂で、私は迂闊にも足を滑らし、3mほど滑落し、太腿を強打しました。恥ずかしい限りです。周りの人が杖を両手に貸してくれました。まだこの日の前半部分でしたが、痛みを堪えて最後まで遅れないように歩きました。という理由で、この日の写真は少ないです。
いつも私の真後ろを歩いていたT氏によると、私の歩き方は、いつもと違って最初から危うかったそうです。日頃の疲れが溜まっていたのかもしれませんね。(帰宅してズボンを脱ぐと、左太腿が大きく内出血していました)

↓太陽の日差しをまともに受ける迂回路もあり、長い登りで体力消耗。飲料水も少なくなりました。
熊野203・迂回路.jpg熊野204.jpg

◎蛇形地蔵(じゃがたじぞう)
この付近で出土した海藻の化石が蛇の鱗のように見えることから「蛇形石」と名付けられ、それを背において祀られているこの地蔵尊は「蛇形の地蔵さん」とも呼ばれ、明治22年の大水害以前は岩神峠にあったという。言い伝えによれば、熊野を往来する人々がよくこの峠で「グル」という妖怪にとりつかれて倒れる遭難が相次いだため、寛政年代に岩神峠にこの地蔵尊を建てて旅人の遭難を防いだという。明治の大水害時には、岩神峠から不思議な音が聞こえ、村民は脱出し遭難をまぬがれ、これ故に地蔵尊をここにお迎えし祀ったという。(以上は説明板より)

↓蛇形地蔵尊の手水舎
熊野205・蛇形地蔵手水.jpg

↓蛇形地蔵尊の前で、説明する語り部。
熊野206・蛇形地蔵.jpg

↓蛇形地蔵尊の社
熊野207・蛇形.jpg

14時23分蛇形地蔵尊を出発すると、まもなく本来の古道に出、「湯川王子」に到着です。
↓湯川一族発祥の地の石碑
熊野208・湯川.jpg

↓湯川王子の説明板と鳥居(鳥居前に平成4年5月27日皇太子殿下行啓の地の石碑あり)
熊野209・湯川王子.jpg
◎湯川王子(ゆかわおうじ)
 永保元年(1081)10月、熊野に参詣した藤原為房は、「三階」(三越峠)の手前で、「内湯川」で浴びています。王子社の初見は、天仁2年(1109)に参詣した藤原宗忠の日記の10月25日条で、「内湯」王子に奉幣しています。建仁元年(1201)10月、後鳥羽上皇の参詣に随行した藤原定家の日記には「湯河」王子、承元4年(1210)5月、修明門院の参詣に随行した藤原頼資の日記には「湯川王子」とあり、この頃から湯川王子の名が定着します。参詣の途上、ここで宿泊や休憩することが多く、上皇・女院の御所や貴族の宿所が設けられました。この地は、戦国時代に御坊平野を中心に紀南に勢力をふるった湯川氏の発祥の地と伝えられ、応永34年(1427)9月に足利義満の側室・北野殿が参詣した際には、奥の湯川を称する豪族が兵士を従えて接待しています。江戸時代には本宮町の湯川(下湯川村)と区別するために、道湯川村と呼ばれ、王子は若一王子社と称しました。明治時代には王子神社となりましたが、末期には社を残して、約12km離れた近露の金比羅神社(現、近野神社)に合祀されました。もともと山中の小村でしたが、昭和31年(1956)無人の地になりました。現在の王子社の建物は、昭和58年に再興されたものです。(以上は説明板より)

↓湯川王子社
熊野210・湯川.jpg

↓語り部が法螺貝を吹いて、皆で参拝。
熊野211・湯川.jpg

↓スタンプ帳から
熊野213・スタンプ.jpg

※続きます。

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◎サッカー東アジア杯2013

日本   3-3   中国  

新生(国内組だけ)日本は、3対1から追いつかれ引分に終わりました。日本はだらしなく弱いですね。3失点の内2点がPKであり、ディフェンスに課題を残しました。

※参院選は、戦前の予想通り、自民の一人勝ちでしたね。
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熊野古道を歩く旅(11)紀ノ川SA・熊瀬川王子 [熊野古道]

7月21日(日)       今回からは、6月16日に行った「第4回語り部と行く!中辺路編・熊野古道を歩く旅」です。今回のコースは、小広王子から発心門王子まで約11kmで、全5回ある本ツアーの中での最長区間でハードなコースです。そこで梅田集合時間も7時と早かったです。今回はT氏と二人での参加です。

マウスを地図上に置くと拡大します。

7時10分梅田をバスが出発、難波経由して、最初の休憩場所の「紀ノ川SA」に8時40分到着。

↓●紀ノ川サービスエリア
住所:和歌山市北野744-5 阪和自動車道下り
開業:1974年10月25日
熊野182・紀ノ川SA.jpg

↓紀ノ川SAのベーカリーは、種類も豊富で、私も時々買物します。
熊野183・ベーカリー.jpg
↓ここだけで売っている「みかんパン」
熊野184・みかんパン.jpg

↓このSAから紀ノ川がつくった和歌山平野が一望できます。
熊野185・和歌山平野.jpg
熊野186・夜景100選.jpg
↑ここの夜景は、日本の「夜景100選」にも選ばれています。

8時55分に紀ノ川SAを出発し、次に到着したのは10時30分「ちかつゆ」です。ここで弁当が配布されました。
熊野190・弁当.jpg
熊野191.jpg
↑手作りの竹の皮で編んだ器に地産物が詰め込まれ美味しかった。器は持ち帰りました。

↓前回も掲載しましたが、「ちかつゆ」の様子です。
熊野187・ちかつゆ.jpg
熊野188・.jpg
熊野189.jpg

早い昼食を済ませて、11時15分「ちかつゆ」から再度バスに乗り、前回のゴール地点の「小広王子」の近くまで運んでもらいました。
↓ここでバスを降り、全員でストレッチ体操です。そして2班に分かれて歩きのスタート11時30分。
熊野192・バス下車.jpg

↓41番道標             ↓熊野古道へ
熊野193・41番.jpg熊野194.jpg

↓登り道の途中にある地蔵さん。法螺貝を吹く女性の語り部が説明。
熊野195・地蔵.jpg

↓◎熊瀬川王子跡(くませがわおうじ)
熊野196・熊瀬川王子.jpg熊野197.jpg
↑熊瀬川の地名は、承元4年(1210)修明門院の熊野参詣に随行した藤原頼資の日記の5月1日条が初見のようです。この日一行は、近露王子を出発し、熊瀬川で昼食をとり、本宮まで行っています。寛喜元年(1229)の頼資自身の参詣では、11月5日、同じく近露を出発して、熊瀬川で昼食をし、湯川で宿泊しています。「熊背川」王子の名は、鎌倉時代末期の「熊野縁起」(仁和寺蔵)にのみみえます。熊瀬川の地名は、草鞋(わらじ)峠の登り口付近一帯をさしますので、王子跡はこことするのが一応妥当でしょうが、その他の文献には見えませんので、小広王子と同じとする意見や王子社の存在そのものを疑問視する意見もあります。(以上は説明板より)

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◎オールスター第2戦

タイガースの新井貴がMVPを獲りました。後半戦に向けて、いいキッカケにして欲しいですね。

オールスター.jpg
スコア:http://www.asahi.com/sports/baseball/npb/game/NIK201307200176.html

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熊野古道を歩く旅(10)中川王子・小広王子 [熊野古道]

7月19日(金)      第3回「語り部と行く!中辺路編・熊野古道を歩く旅」の最後です。

(地図にマウスを置くと拡大します)

【5月12日(日)】
↓38番道標                           ↓安部晴明の腰かけ石
熊野164・35番.jpg熊野165・安部晴明の腰かけ石.jpg
↑【安部晴明の腰かけ石】ここにある上部の平たい石は、安部晴明の腰かけ石といわれるものである。平安時代の陰陽道の大家・安部晴明が熊野をめぐる途中でこの石に腰をおろして休んでいた。その時、上方の山が急に崩れそうになったが、晴明は得意の呪術によって、崩壊を未然に防いだと伝えられている。(以上は説明板より)

↓◎中川王子跡(なかのがわおうじ)
熊野166・中川王子入口.jpg
熊野167・中川王子跡.jpg
中川王子跡】天仁2年(1109)に熊野に参詣した藤原宗忠は、10月25日に「仲野川王子」に奉幣し、建仁元年(1201)に後鳥羽上皇の参詣に随行した藤原定家は、10月14日に「中の河」の王子に参拝しています。承元4年(1210)に参詣した修明門院に随行した藤原頼資の日記以降は、「中川」と書くようになります。この王子社は早く荒廃したようで、江戸時代の享保7年(1722)の「熊野道中記」には「社なし」と書かれていて、紀州藩がその翌年、緑泥片岩の碑を建てました。明治末期にはこの碑だけの中川王子神社として、金比羅神社(現、近野神社)に合祀されました。(以上は説明板より)

↓36番道標。          ↓この辺りには、山藤が沢山群生していました。
熊野168・36番.jpg熊野169・藤.jpg熊野170・藤.jpg

↓37番道標             ↓日比野友子の歌碑             38番道標↓
熊野171・37番.jpg熊野172・友子歌碑.jpg熊野173・38番.jpg
↑「遠つ世の 蟻の詣でをしのびゆく 熊野古道は 若葉の盛り」日比野友子は、昭和50年、和歌山県文化功労賞受賞の歌人。

↓39番道標             ↓◎小広王子跡(こびろおうじ)に16時到着。
熊野174・39番.jpg熊野175・小広王子跡.jpg
小広王子跡】天仁2年(1109)に熊野に参詣した藤原宗忠は、10月25日に「仲野川王子」に奉幣した後、「小平緒」「大平緒」を経て、岩神峠にむかっています。また、建保5年(1217)に後鳥羽上皇と修明門院の参詣に随行した藤原頼資の日記には、「大平尾」「小平尾」と書かれています。この王子社は「小平緒」「小平尾」に由来すると考えられますが、江戸時代以前の記録に、王子としては登場しません。土地の人々が小広峠の上に祀った小祠がいつの頃か小広王子といわれるようになったと推測されます。その跡地に紀州藩が享保8年(1723)に緑泥片岩の碑を建て、明治末期には、この碑だけの小広王子神社として、金比羅神社(現、近野神社)に合祀されました。もとの小広峠が道路建設で崩された為、王子碑はここに移されていますが、石碑の上部が欠けて、「王子」の文字のみとなっています。(以上は説明板より)

↓小広王子跡の近くで、バスに乗り込み、「古道歩きの里・ちかつゆ」に立ち寄りました。
熊野176・ちかつゆ.jpg熊野177・ちかつゆ.jpg
http://www.chikatsuyu.jp/
ここで、トイレ休憩や、土産等の買物をしました。私はソフトクリームを食べました。
ここを16時40分出発し、梅田に帰着したのは、19時45分でした。
その後、3人で「亀多寿司」へ行きました。この記事は次回アップします。

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熊野古道を歩く旅(9)野中の清水・継桜王子 [熊野古道]

7月18日(木)       第3回「語り部と行く!中辺路編・熊野古道を歩く旅」の続きです。

熊野150・野中の集落図.jpg

【5月12日(日)】
↓本日のコースの半分を過ぎ、手持ちの飲料が少なくなってきた時に、少し古道から外れて「野中の清水」に寄り道しました。
熊野150・野中の清水.jpg
熊野151・.jpg熊野151・清水.jpg
↑【名水・野中の清水】ここは奥の方から清らかな水がわき出ていて、「野中の清水」として古くから知られた名水である。真上に継桜王子社や一方杉があり、熊野路を歩く旅人がわざわざ道から降りてきて、よくここでのどをうるおした。またこの付近一帯の住民の大事な用水にもなっていた。昭和60年(1985)に環境庁の名水百選に選ばれた。
 句碑の「すみかねて 道まで出るか 山しみづ」は、俳人服部嵐雪が宝永2年(1705)5月仲間7人と共に伊勢と熊野に参り、田辺の方へ歩いて行く途中ここで詠んだ句である。
 歌碑の「いにしへの すめらみかども 中辺路を 越えたまひたり のこる真清水」は、歌人斉藤茂吉が昭和9年(1934)7月、土屋文明と共に熊野に来て、自動車で白浜に向かう途中で詠んだ短歌である。(以上は説明板より)
熊野152・斉藤茂吉.jpg熊野153・服部嵐雪.jpg


◎継桜王子(つぎざくらおうじ)
熊野154・継桜王子.jpg熊野155・継桜.jpg
藤原宗忠は天仁2年(1109)10月に熊野に参詣した際、「道の左辺に続桜の樹あり、本は檜で、誠に希有なこと」と日記に記しています。檜を台木とした桜が成長していたものとみられます。建仁元年(1201)10月に後鳥羽上皇に随行した藤原定家の日記、あるいは承元4年(1210)4月、修明門院に随行した藤原頼資の日記には、「続桜」王子とありますので、鎌倉時代にはこの珍しい木の傍らに王子が出現したようです。ただし、藤原宗忠の参詣記では、仲野川(現、野中川か)を何度か渡るように記していますので、この王子社はその後現在地に移されたことも考えられます。江戸時代には若一王子権現とも呼ばれ、また社前の桜樹は「接桜」、更には「秀衡桜」ともいわれて名木となっていました。
 王子社から約100m東にある現在の秀衡桜は、何代目かにあたり、明治中期に植えられたものです。明治時代には王子神社となり、末期には近露の金比羅神社(現、近野神社)に合祀されましたが、社殿は残り、後に神体も戻されました。
 境内にある9本ほどの杉の大木は、枝がすべて南向きに伸びているため「一方杉」と呼ばれています。神社合祀の際に、南方熊楠らの保存運動によって残され、現在はこの神社に奉納される「野中の獅子舞」とともに県の文化財に指定されています。(以上は説明板より)

↓一方杉の大きさを体験。                   ↓紀州藩が建てた石碑
熊野156・.jpg熊野157.jpg

↓鳥居をくぐって、社殿へ。
熊野158・継櫻王子社.jpg

↓社殿に参拝
熊野159・社殿.jpg熊野160・.jpg

↓スタンプ
熊野154・スタンプ.jpg

↓とがの木茶屋
熊野161・とがの木茶屋.jpg

↓秀衡桜と34番道標
熊野162・秀衡桜34番.jpg熊野163・秀衡桜.jpg
↑【秀衡桜】(ひでひらざくら)
奥州の藤原秀衡夫婦が熊野参りをした際、滝尻の岩屋で出産し、その子を残して、ここ野中まで来て、杖にしていた桜の木を地につきさし、子の無事を願ったとされ、その木が成長したものが秀衡桜だといわれています。

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◎昨日の阪神タイガース

回数:123・456・789・・・・・・・計・・・・・・・(安打) 甲子園、 18:00、 43,290人
巨人:000・001・500・・・・・・・6・・・・・・・(12)
阪神:131・011・11×・・・・・・・9・・・・・・・(16)

【本塁打】浅井1号ソロ(8回、マシソン)、長野11号3ラン(7回、メッセンジャー)
【マルチ安打】俊介3、鳥谷3、新井貴3、浅井2、藤井2
【打点】俊介2、鳥谷1、マートン1、新井貴1、今成1、浅井1、坂1
【投手】
○榎田     6回:5安打、3三振、3四球、1失点(12試合4勝5敗)
・メッセンジャ-3分の2:5安打、2三振、無四球、5失点
H加藤  3分の1:無安打、1三振、無四球、無失点
H安藤     1回:1安打、無三振、1四球、無失点
S福原     1回:1安打、1三振、無四球、無失点(31試合3勝4S)
●宮国     3回:7安打、2三振、1四球、5失点(10試合4勝4敗)

※前半戦の最終戦は、阪神の素晴らしい攻撃で、勝利で締めくくりました。阪神は、4回を除いて毎回得点という効率の良さです。しかし、巨人も7回悪夢の再現のような攻撃で1点差まで詰め寄り、巨人の強さを痛感させられました。
↓この日のヒーローのお立ち台は、俊介選手と榎田投手です。
阪神1.jpg阪神2.jpg
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