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呉春・稲束家住宅・高法寺(池田市) [能勢街道]

7月26日(日)      昨日は京都へ行って来ました。この記事は後日アップします。  

 さて、池田市には能勢街道に西国巡礼道も通っています。今回は、能勢街道から少し離れた池田の見所を紹介します。

能勢街道64・地図.jpg


◎呉春(酒造)ごしゅん
住所:大阪府池田市綾羽1-2-2

【池田酒の栄枯盛衰】 
 池田の町には、今では「呉春」と「緑一」の2軒の酒蔵しかありませんが、江戸中期には下り酒(江戸積み酒)の銘醸地として、最盛期には38軒の酒蔵がありました。
 その最盛期であった江戸中期の池田酒発展には、池田の酒造りの祖と云われる満願寺屋がいち早く手に入れた「酒造御朱印」(酒造免許)のお陰と言われています。「御朱印」を授かった特例池田の町には、酒造業者が増え当時甘口の酒が台頭していた元禄の世に、猪名川の水を仕込み水にして醸したスッキリした味わいの池田酒は”辛口”と評されて、たちまち盛況となり自信を持って徒歩で江戸に売り込みに行ったところ大盛況となり、次いで馬、廻船と搬送石数を増やし、あっと言う間に「池田酒」はお隣の町で「丹醸酒」を醸した伊丹と並んで江戸下り酒(江戸積み酒)の銘醸地としての地位を確立しました。
 その後、安永5年(1776年)満願寺屋の失脚とともに「御朱印」は取り上げられ、宮水の発見されたより辛口酒を醸すことの出来る灘にその江戸下り酒(江戸積み酒)の銘醸地としての地位を譲ることとなりました。
なお、「緑一」は現在自醸していません

【呉春の由来】
呉春特吟の首掛け札に『呉春は池田の酒のこと。呉は池田の古い雅稱「呉服(くれは)の里」に由来し池田のこと。春は唐代の通語にて酒のこと。依って呉春は池田の酒。』と記されていますが、銘酒・呉春の名が松村呉春から由来していることはあまり知られていません。また、呉春は創業が江戸中期の元禄年間(元禄14年(1701年)頃)と云われていますが、呉春の名が使われるようになったのは、天明以降の弘化4年(1847年)頃からと云われています。

能勢街道35・呉春.jpg
能勢街道36.呉春.jpg
能勢街道37・呉春.jpg


◎稲束家住宅(いなつかけ じゅうたく)
住所:大阪府池田市綾羽1-2466
近世の在郷町中心地を南北に通る街路に東面して建つ。間口5間半規模の切妻造,本瓦葺の平入つし2階建商家で,南方を下手とし,土間奥に角屋を出し,北西方に座敷棟を張り出す。正面はつし2階に大きな虫籠窓を開け,庇と2階壁面を北に延ばして表門をとる。

 呉春よりさらに北へ行くと、登録有形文化財の稲束家。説明板によると、1700年代中ごろに建てられた。稲束家は元禄年間(1688~1704)は甲字(麹=こうじ)屋という問屋で、その後は酒造業も営んだ商家。文化サロンの趣を呈し、江戸時代の思想家の頼山陽、自由民権運動のリーダーだった板垣退助、俳人の河東碧梧桐(かわひがし・へきごとう)らが出入りしたと書いてある。

能勢街道56・稲束家住宅.jpg
能勢街道57・稲束.jpg


◎高法寺(こうほうじ)
住所:大阪府池田市綾羽1-1-9
山号:待兼山。宗派:高野山真言宗。本尊:十一面観世音菩薩
開基:行基。中興:静弁(1598)。摂津国八十八箇所第66番札所

当山の開基は天平年間(729~49年)行基菩薩と伝わり、元は池田と豊中の境にある待兼山山頂(現大阪大学豊中校舎)にあり、永禄年中(1558~70年)までは池田城主池田筑前守の祈願所であった。山号の待兼山はそれに因んだものと思われる。
 その後、寺院は兵火のため全焼し、1556年(弘治2年)当時の住職が本尊のみを背負い、当地まで逃れ、ここに小堂を建て安置したという。
 この寺は旧池田城のすぐ近くにあり、1578年(天正6年)、荒木村重が織田信長から離反した際、伊丹城の支城であった池田城も攻められ、落城後は信長軍の陣地となるなど、戦国末期のたび重なる兵火により、池田の町屋も焼かれた。当山は1598年(慶長3年)僧静弁が中興した。

能勢街道38・高法寺.jpg
能勢街道39・.jpg
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能勢街道43・本堂.jpg
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↓金比羅社
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↓稲荷社
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◎天保4年の道標
能勢街道54・天保4年道標.jpg
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↑高法寺の近くの西国巡礼道沿いにあります。

◎池田城跡公園
能勢街道53・池田城跡.jpg
↑ここから池田城跡公園の櫓風展望休憩舎が見えます。平成12年(2000)に池田城公園としてオープン。
「池田城跡公園」の詳細記事は、こちらです。

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◎昨日の阪神タイガース

回 数:123・456・789・・・・・・・計・・・・・・・(安打) 甲子園、 18:00、 46,908人
DeNA:000・040・100・・・・・・・5・・・・・・・(10)
阪 神:002・000・000・・・・・・・2・・・・・・・・(6)

【本塁打】白崎4号ソロ(7回、歳内)
【マルチ安打】マートン2
【打点】ゴメス1、マートン1
【投手】
●岩崎4回3分の2:7安打、6三振、無四球、4失点(自責3)(4敗)
・加藤  3分の1:無安打、1三振、無四球、無失点
・歳内   2回:2安打、1三振、無四球、1失点
・岩本1回3分の2:1安打、無三振、1四球、無失点
高宮  3分の1:無安打、無三振、無四球、無失点
・砂田   4回:5安打、2三振、1四球、2失点
○小杉   2回:1安打、2三振、無四球、無失点(2勝3敗)
S山崎   1回:無安打、2三振、無四球、無失点(2勝2敗24S)

※岩崎投手が試合をぶち壊しましたね。岩崎は勝投手権利を得る5回に、5安打の集中打を浴びました。球にキレがなく、制球が甘いと勝てませんね。またベンチの継投遅れもありますね。
※逆転された阪神は、集中力を失い、5回以降は1安打です。超満員の観客が怒りますよね。
※連夜のお立ち台の江越は、この日は3三振とタイムリーエラーと疫病神でした。
※阪神は貯金が「0」に逆戻りし、3位に後退しました。

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能勢街道Ⅲ(西光寺・吉田酒造・いけだピアまるセンター) [能勢街道]

7月24日(金)     池田市の中心街を通る能勢街道沿いの記事の続きです。

能勢街道26・看板.jpg

ほんまち通りを離れ、北に入った所に「西光寺」があります。
↓西光寺の山門
能勢街道25・西光寺.jpg

↓境内の中にある「猪名川政右衛門の碑」
能勢街道29・猪名川政右衛門の碑.jpg
能勢街道30・猪名川駒札.jpg
●西光寺(さいこうじ)
住所:大阪府池田市新町1-1
電話:072-751-2206
浄土宗、不断山、本尊:阿弥陀如来
1546年満誉祐圓が建立、1696年誠誉が再建

↓本堂
池田・西光寺1.jpg


↓池田で2軒残っている造り酒屋の一つ「吉田酒造
能勢街道27・吉田酒造.jpg
能勢街道28・吉田説明板.jpg
↑池田の酒「緑一」は元禄10年(1697)、加茂屋平兵衛が創業。現在まで営業している銘酒です。今は自家製造しておらず、委託製造とのことである。
もう1軒残っている酒屋は「呉春」で、唯一自家製造しています。

↓能勢街道から少し離れたところにある「弘誓寺
能勢街道45・弘誓寺.jpg
能勢街道46.jpg
●弘誓寺(ぐぜんじ)
住所:大阪府池田市綾羽1-4-10
電話:072-751-2303
浄土真宗、本願寺派、大西山。
池田氏の一族の大西源五が1509年創建らしい。池田家の家老屋敷の跡地。


↓能勢街道が国道173号と一緒になっている所にある「いけだピアまるセンター
http://www.city.ikeda.osaka.jp/shisetsu/bunka/1416623006733.html
能勢街道58・いけだピアまるセンター.jpg
能勢街道59.jpg

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◎大阪でプロ・アマ交流戦↓(朝日新聞デジタルより)
大阪で一番強い野球チームはどこや? 大阪市に本拠を置くプロ野球オリックスの2軍と府内の社会人、大学の計6チームが参加し、8月21~23日に「大阪プロ・アマ交流戦 真夏のトーナメント2015」を戦う。府などが23日に発表した。

 「野球で大阪を盛り上げよう」とオリックスが提案。オリックスの2軍のほか、関西六大学の大商大と大経大、阪神大学の大体大、社会人の日本生命と大阪ガスが出場する。主会場は高槻市萩谷総合公園野球場で入場無料。来年以降は出場チームの拡大を目指す。

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能勢街道Ⅱ(めん茂坂~ほんまち通り) [能勢街道]

7月22日(水)     池田市を通っている「能勢街道」散策記事の続きです。

能勢街道20・看板.jpg
能勢街道63.jpg

↓牛追い坂の登り口にある地蔵堂「大幡寺跡地蔵堂」
能勢街道47・牛追坂入口地蔵堂.jpg
能勢街道48・大幡寺跡地蔵堂.jpg
↑私は中学生の頃、この牛追い坂を登って通学していました。

↓池田町役場跡には「バスポート」が設置されています。
能勢街道49・バスポート.jpg

↓旧池田警察署跡には「ハローワーク」が建っています。
能勢街道50・ハローワーク.jpg

↓ここから「めん茂坂」を振り返って見ました
能勢街道51・めんも坂を振り返る.jpg
↑「さくら通り」と「能勢街道」の交差点からです。

↓サカエマチ2番街(サカエマチ商店街)
能勢街道52・サカエマチ2番街.jpg
↑この「サカエマチ商店街(尼崎・伊丹道)」と「能勢街道」の交差点には昔、高札場があり、「井戸の辻」と呼ばれていた。

ここから西が「ほんまち通り」で、昔は本町商店街と呼ばれアーケードがありました。随分様変わりしました。
能勢街道33カワムラ.jpg

↓右側にある「インテリア・カワムラ」(国登録有形文化財)敷物や白衣販売。
能勢街道31・敷物と白衣.jpg
能勢街道32・カワムラ説明板.jpg

↓左側にある「ピリケンさん」
能勢街道21・ピリケンさん.jpg
能勢街道22・ピリケン.jpg
ビリケンは1908年にアメリカの女流彫刻家が、「夢に現れた奇妙な神様の姿」をもとに作ったもので、第27代のアメリカ大統領ウィリアム・ハワード・タフト(通称:ビリー)に風貌が似ていたことから、その名が付いたと言われています。
 ビリケンさんは足に手が届かないので、足の裏をなでてあげると、そのお礼に願いを叶えてくれると言われ、特に縁談と受験にご利益があるとされています。

↓ここには、「井戸の辻」の記念碑が設置されていました。
能勢街道60・井戸の辻.jpg
能勢街道61・.jpg

↓ほんまち通りの道路に嵌め込まれているタイル
能勢街道62・歩道のタイル.jpg

↓落語みゅーじあむ
能勢街道34・落語.jpg
↑2007年オープンの池田市立上方落語資料展示館。名誉会長は桂文枝(三枝)。

↓その隣の「嘉づ家」(ラーメン屋さんです)
能勢街道23・嘉づ家.jpg

↓左側にある大衆芝居小屋の「呉服座」
能勢街道24・呉服座.jpg
↑2010年オープン。もとはここに映画館がありました。

※「落語みゅーじあむ」と「呉服座」については、2011年6月16日にもブログに掲載しています。
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◎昨日の阪神タイガース

回数:123・456・789・・・・・・・計・・・・・・・(安打) 甲子園、 18:02、  41,661人
巨人:000・000・001・・・・・・・1・・・・・・・・(8)          阪神の6勝10敗
阪神:000・002・00×・・・・・・・2・・・・・・・・(6)

【マルチ安打】鳥谷2
【打点】マートン
【投手】
メッセンジャー 8回:6安打、2三振、1四球、無失点(6勝7敗)
S 呉    1回:2安打、1三振、無四球、1失点(2勝2敗25S)
●杉内5回3分の2:6安打、4三振、1四球、2失点(6勝6敗)

※今回はマートンのラッキーなタイムリー2塁打で得点し、逃げ切りました。
まだ、借金「1」ですので、本日も勝って5割に戻して欲しいです。
※セ・リーグ全球団が借金生活という珍しい現象です。
阪神1.jpg
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能勢街道Ⅰ(辻ヶ池公園~めんも坂) [能勢街道]

7月20日(月)    池田市は昔から交通の要所であり、西国街道や能勢街道など旧街道が沢山交差しています。今回から、我が町「池田市」を能勢街道に沿ってご紹介します。

能勢街道1・池田市旧街道図.jpg

◎能勢街道とは(Wikiよろ抜粋)
能勢街道(のせかいどう)は、大阪市北区中津から池田市を経て妙見山の能勢妙見堂に至る旧街道。 また、現在では旧街道に並行する、国道176号大阪~豊中~池田および国道173号池田~多田~能勢~篠山(但しバイパス等を除く)の通称・別称として使われることも多い。
近世には、池田街道、銀山街道とも呼ばれました。

池田や能勢で産する酒や衣類、木材が当街道によって大坂へ運ばれ、更には能勢から奥に続く丹波国の米、栗、炭、銀、銅などの搬出路でもあった。また終着地の能勢妙見をはじめ、沿道には服部天神宮、東光院(萩の寺)、原田神社、多田神社など社寺が並び、街道の途中から入った中山寺、勝尾寺などを含めての参拝路としても賑わいを見せた。明治9年(1876年)に太政官達60号で道路の種類及び等級が定められた際、能勢街道は大阪府下で3本のみの一等縦貫線に掲げられている。

ところで岡町から池田まで、古くは刀根山(現在の大阪大学豊中キャンパス南方)回りの山道を通っていた。この坂が急で物資運搬に支障をきたすため、明治27年(1894年)に現在の阪急豊中駅付近から石橋にかけ、比較的平坦な新道が開かれた。これを「新能勢街道」といい、現在の国道176号ルートとほぼ同じである。旧伊丹街道と交差する岡町付近では商店街となっています。

↓今回のコース
能勢街道2・.jpg

辻ヶ池公園
能勢街道3・辻ヶ池公園.jpg
能勢街道4・辻ヶ池.jpg
↓辻ヶ池公園の遊戯具
能勢街道5・辻ヶ池.jpg

↓公園に隣接して南西角にある「あわんど池の辻地蔵」
能勢街道6・あわんど池の辻地蔵.jpg

街道は、一方通行の細い道を西に進みます。(表示がないので分かり難いです)
しばらく行くと、左側にお堂があります。
上池田薬師堂
能勢街道7・上池田薬師堂.jpg
↓薬師堂の駒札
能勢街道8・薬師如来駒札.jpg
↓薬師堂に掲げる額
能勢街道9・額.jpg
池田城主池田氏の奥方が、阿波の三好一族から嫁いできたことから阿波の人々がこのあたりに多く住みつき御堂を「あわん堂」と呼ぶようになった。「上池田薬師堂」もしくは「極楽寺阿波堂」とも呼ばれ、桜の一木造りで高さ145cmの薬師如来像が小さい穴から拝観できる

↓薬師堂とは反対の右側の道を上がって行くと、我が母校「池田市立中学校」の正門です。
能勢街道10・池中.jpg

↓街道をなおも西へ進むと、左手に「星の宮」があります。
能勢街道11・星の宮.jpg
↓鳥居の下の道標
能勢街道12・道標.jpg
↓「星の宮」の説明板
能勢街道13・星の宮説明板.jpg
↓星の宮の正門
能勢街道13・.jpg
↓本殿
能勢街道14・星の宮.jpg
↑織姫伝承の一つ。二人の織姫がこの場所で夜遅くまで機を織り、天から七つの星が降りてきて明るく照らしたという。これが星の宮の名前の由来。伊居太神社のお旅所で池田氏も代々支援していた。
毎年8月24日池田の「がんがら火祭り」に京都の愛宕神社から火をもらい受け、五月山に「大文字」を点火し、こどもたいまつ行列の火を収める場所となっている。

↓街道を進むと、「めんも坂」という下り坂があります。
能勢街道15・めんも坂.jpg
↑左に見えるのは、「福助堂」という和菓子の老舗です。
能勢街道18・福助堂.jpg

↓坂の途中の右側の白い壁の建物は「池田文庫」です。
能勢街道16・池田文庫.jpg
↑池田文庫は昔、「めん茂楼」があった所。ここを右側に上がって行けば、「逸翁美術館」や「小林一三記念館」があります。

↓池田文庫の向かい側、街道の左には「法園寺」があります。
能勢街道17・牛追い坂・法園寺.jpg
↑昔の街道は、ここから急激な下り石段になっていたので、迂回して法園寺の横の道から荷物を運んだので、「牛追い坂」と呼ばれていました。
法園寺(ほうおんじ)は、浄土宗知恩院末寺。
天文7年(1537)に創立、永禄元年(1558)に再建。池田城主の勝正の後室の冥福を祈るための御堂も建てられるも、その後上池田に移転され「あわん堂」(薬師堂)として今も残る。

※めんも坂を下って行くと、池田の中心街である栄本町に通じています。

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